2007年8月 3日 (金)

佐渡旅行

娘はまだ船に乗ったことがなかった。
昨年、佐渡に連れて行ってあげると約束したけれど、果たせなかった。
娘はパパが約束を果たさなかったことに関して、何も言わなかった。
あるいは忘れていたのかもしれない。

春から、今年こそはと思っていたが、口にしなかった。
土日に急に仕事が入ることがある。
家庭と仕事。どちらも大切だが、仕事を優先しなければならないこともある。
約束を破りたくなかった。

だいたいスケジュールが見えてきたひと月前、知り合いに頼んで佐渡の宿を予約した。
どんな仕事が入っても断ることにして、娘に佐渡行きを告げた。

自身、佐渡に行ったのは10年以上も前のことだが、鮮明に残っている記憶がある。
その記憶を娘に話して聞かせる。
「海の水が透き通っているんだ。腰のあたりまで水に浸かっても、自分の足が見えるんだ。その自分の足の周りを小さな魚が泳いでいるのも見える。水面に太陽の光がきらきらと反射して、それそれはきれいなんだ。水中メガネをして、海にもぐると水族館の水槽を覗いているように見える。岩の影に張りついているサザエやあわびも見えるんだ」
パパの話はだんだん熱を帯びてくる。

休みの日にスポーツ店で水中メガネを買った。

佐渡行きの1週間前、中越沖地震が発生した。

私の住む新潟市に大した被害はなかったが、柏崎市を中心に大きな被害が出た。
たくさんの仕事が地震の影響でシフトした。佐渡行き前にケリがつくはずだった仕事が繰り延べになり、佐渡から帰る翌日が重要な日になった。
離島への旅行は天候によって、帰って来れないというリスクが伴う。万が一帰って来れないということになれば、仕事に穴を空けることになり、信用が失墜するだろう。責任問題になるかもしれない。

天気予報は雨。
放射能を含んだ水が海に流出しているので海水浴は危険だと言う人もいた。
何より、身近に被災している人がいるのに、旅行などしている場合なのかという自身の迷いがあった。
「こういう時だから、佐渡はこの次にしよう」
そう言っても、娘は納得するように思えた。
柏崎から遠い新潟の温泉地でもキャンセルが相次いでいると報じられていた。

結局、佐渡へは行くことにした。

行くことに決めた途端。2週間前からくすぶっていた風邪の具合が悪化した。
「やはり行くなということかなあ」そんな気がした。

出発前夜、飲み会の誘いがあった。
体調が悪かったし、準備もしていなかったので、逡巡したが、結局出かけた。

「明日は佐渡だから、今日は早く帰る」
飲み会の冒頭、そう宣言したが、飲むほどに体調も気にならなくなり、準備もなんとかなるという気持ちになっていた。
しかし、仲間にたしなめられ、いつもの半分の酒量で、23時ころに帰途に着くことになった。

翌朝、4時起き。
昨日飲みに行ってしまったことを思いっきり後悔した。
喉の痛みが激しく、水も飲めない。
熱があるようで身体が熱い。
いつものペースで飲んでいたら、どんなことになったか分からない。

一行は父、母、私、妻、娘(9歳)、弟夫婦、弟の長男(5歳)と次男(3歳)。大人6人、子供3人の9人。

行きはフェリーである。
佐渡・両津港まで2時間30分かかる。
二等船室は絨毯敷きのだだ広い部屋である。
早いもの勝ちで自分のスペースを確保する。
私たちは乗船が遅くなったので、他人が確保したスペースのわずかな隙間を確保して、荷物を置いた。
眠かったが、横になるスペースはなかった。

娘と弟の子供たち、娘にとっては従兄弟は、初めて乗る船に大はしゃぎである。
荷物を置くなり、船内の探検に出かけた。

離岸の作業を興味深く観察し、船が港を出るまで手を振る人に手を振り返す。
沖へ出ても船についてくるウミネコに朝食を振る舞い、波立つ航跡を眺め、顔を見合わせている。
「イルカが追いかけてくることがあるんだよ」と教えてやると、デッキでイルカを探す。

トビウオが跳ねる。
「あれは何? すごく飛んだ」
「トビウオだよ」
「えー! あんなに飛ぶんだ」

船内をくまなく探検した後、探検隊はしばしの休息に入った。
朝早かったから、眠かったのだろう。
パパも少し休んだ。
貸し毛布1枚100円。

両津湾に入ったころ、「もう少しで着くよ」と教えてやると、探検隊は再びデッキに出た。
「佐渡だー」

予約していたレンタカーを借り、小木に向かう。
生憎の雨。肌寒い。海水浴は無理かなと思う。

佐渡には独特の雰囲気がある。
20年前に徒歩とバスで回ったとき、濃密に感じたそれが、車で通り過ぎると希薄になる。
それでも独特の雰囲気はあり、子供たちにはそれを感じ取って欲しいと思うのだが、後部座席で寝息をたてている。
窓を少し開けると、むせ返るような佐渡の匂いがした。

小木に着いた。
まともな朝食をとっていないので、一行は腹をすかしている。
しかし、ここで腹いっぱい食べてしまったら、昼食に影響する。
迷ったあげく、一行はそばとサザエのつぼ焼きとイカ焼きをいただいた。

名物のたらい舟は、雨が降っていたので、じいちゃんとばあちゃんは待機、経験者のパパも岸に残って撮影に専念した。
港の中を回るだけの短い行程だけれども、途中自分で漕いでみたりして、一行は大満足。

小木から十数分の宿根木は、雰囲気のある漁港と昔ながらの街並みが魅力の集落だ。
ここを訪ねたのは、パパが10年以上前に取材で来たときに見つけた「菜の花」という料理屋が主眼だったが、残念ながら営業していなかった。
パパの記憶では昼の営業もしていたのだが、近頃は夜の営業しかしていないらいしい。あるいは最初から記憶が違っているのかもしれない。確認すれば良かった。
当時パパはここで近海もののおいしい魚をたらふく食ったという話を車の中でさんざんしてきたので、一行は激しく落胆した。
結局、その日の昼食は尖閣湾のドライブインのようなところで摂ることになったから、また、そこの食事が想像通りひどいものだったので、パパは一行の怒りを買うことになった。

尖閣湾には水中透視船なるものがあって、これはすごかった。
船の中央に生簀のような空間があって、この底が透明になっている。
外の風景も絶景なのだが、途中、それほど深くない海に船が留まっていると、船の下に黒鯛が集まってきて、透明な船底からそれを見ていると、まるで竜宮城にいるかのような気分になる。娘は少し船に酔ったようだった。

船着場のそばの干物屋のおばちゃんと話をし、おばちゃんの飼っている猫と遊んで、あぶってもらった干物をかじりながら宿に向かった。

宿は崖っぷちに建っている一軒宿だ。
手入れされた庭から急な階段を降りていくと、ゴツゴツした岩ばかりの海岸に出る。
雨は上がっていたけれど、肌寒く、とても海水浴をする天気ではない。
しかし、娘は事前のパパのプロパガンダが強烈に効いていて、たとえ豪雨であろうとも海水浴をする構えで、譲らない。

結局、尖閣湾付近まで戻り、海水浴をした。
放射能などあってもなくても、肌寒い天候の中、海水浴をしているのは、私たちだけだった。
体調の悪いパパは遠慮した。
ママがすっかり流行おくれになった水着で娘に付き合った。

パパは夕食のときに生ビールを2杯飲んだだけでダウンした。
アジアカップをやっていたのに、パパは朝まで眠り続けた。

少し早めに起きたパパは一人で風呂に行った後、おばあちゃんやママと寝ていた娘を誘い出して、散歩に出かけた。
散歩はパパの趣味だけど、娘にはそんなジジ臭い趣味はない。

昨日とは違うルートで急な階段を降りて海岸に行くと、たくさんの漁師が素潜り漁をやっていた。
「何が採れるのですか」と宿の人に聞いたら、「あわび」とぶっきらぼうな言葉が返ってきた。

海岸に行く道すがら、赤い蟹がたくさん驚いたように草むらに逃げ込んでいった。
宿の正面玄関で待ち構えていたおばちゃんたちに「佐渡わかめ買ってくんなせや」と言われた。
お金を持っていなかったから買わなかったけれど。

予報はやっぱり雨だったけど、2日目は晴れた。
6月にはかんぞうの花できれいな大野亀の先、二ツ亀で泳ぐことにした。

二ツ亀は海水の透明度が高いことでも有名な海水浴場だ。30年前に一度来たことがある。

駐車場から海水浴場まで遠く、上り下りがキツイのがここの難点だ。
父と母は海辺まで降りるのを断念した。

昨日よりは暖かかったが、風邪っぴきにつらい天候だ。
翌日からの仕事も気になったので、パパは今日も海に入るのをパスした。
娘と水中メガネを使って、岩陰の魚や蟹、サザエやあわびを観察するのを楽しみにしていたのに、残念だ。

パパが話したとおり、水が透き通っていて、身体の回りを泳ぐ小魚が見えるらしい。
娘も、甥っ子たちも、妻も大喜びだ。

2時間ほど海水浴を楽しんだろうか。
パパは少し眠った。

両津へ向かう車の中。
娘は疲れきって、少し眠った。

帰りはジェットフォイル。
新潟港まで1時間で着く。
ただ、高速船なので、席から離れてむやみに歩き回ることはできない。
娘はそれが不満のようだった。
着いてから「どうだった?」と聞くと、「フェリーの方が面白かった」と口を尖らせた。

自宅に戻って、夕食をとりながら、佐渡の思い出を語り合いたいところだったが、パパは仕事。
シャワーで旅の疲れを流して、仕事に出かけた。

「何が一番楽しかった?」
「海」

天候に恵まれなかったから、物足りない部分もあったと思う。
パパも残念だった。

「また、行こうな」
「うん」

娘の輝くような笑顔を見ることができて、パパは幸せだった。

けど、数年もするともう、パパと海水浴に行くことは彼女にとって、それほど楽しいことではなくなるのだろうな。
そう思うと少し寂しい思いもした。

ずっと後になって、「あのときは楽しかった」そう言える思い出をたくさん作ってあげたい。

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