2011年4月 5日 (火)

大相撲を破綻から救う方法

納得できん!処分に猛反発“集団提訴”も…

大相撲の八百長に関与したとして「引退勧告」「退職勧告」などの処分を下された力士、親方らが、日本相撲協会を“集団提訴”する可能性が出てきた。相撲協会から八百長問題の対応を一任された特別調査委員会(伊藤滋座長=早大特命教授)が、物的証拠がないまま処分案をまとめたため、クロと認定された力士や親方が猛反発。訴訟に発展すれば八百長問題の実態解明は新たな段階に進むことが予想される。
特別調査委の実態解明に“非協力的”とみなされ「引退勧告」などを宣告された力士、親方の表情は怒りに満ちていた。
理事会で「退職勧告」を告げられた谷川親方(元小結・海鵬)は「こんなばかな話はない。春日錦(現竹縄親方)と同じ時期に一緒の番付にいただけで処分されるのはおかしい。理事会では調査委員会のずさんな調査への不満を言った。法的手段に訴える」と憤った。また、「引退勧告」を受けた三段目・山本山は「調査委にクロと決め付けられた。裁判を起こしても(協会が)勝つから無駄なことはしない方がいいというようなことを言われた。頭に来ます」と特別調査委の対応に強い不満を示した。物的証拠を一切提示されることはなく、一部の力士の供述だけで処分を言い渡された。さらに調査委の伊藤座長は、八百長への判断根拠について「聞き取り調査の内容と態度」などあいまいな基準を掲げていた。それだけに八百長を否定しながら処分を受けた調査対象者が、処分に納得できるはずもなかった。
既に特別調査委が25日にクロ認定の力士、親方の事実上の解雇方針を定めて以降、一部の力士らの間では協力して提訴に踏み切る動きが出ていた。幕内の白馬は「提訴については一人で決められない。みんなと話すことになると思う」と話し、幕下の白乃波も「みんなで(今後の)対応を考えたい」と“集団提訴”に踏み切る考えを明らかにした。相撲協会や特別調査委の関係者は訴訟となっても一部力士らの証言だけで「勝てる」と自信をのぞかせているが、裁判の過程で八百長問題が新たな広がりを見せることになれば、相撲協会にとっても大きなダメージになるのは間違いなさそうだ。
(「スポーツニッポン」2011年4月2日 06:00)

春日王らが引退届=5日に提出期限-八百長問題

大相撲の八百長に関与したとされ、日本相撲協会から引退(退職)勧告を受けた20人のうち、幕内の春日王(韓国出身、春日山部屋)、琴春日(福岡、佐渡ケ嶽)が4日、引退届を提出した。この日、それぞれの師匠が東京・両国国技館を訪れた。
引退勧告を受けた十両将司と2年間の出場停止処分を受けた幕下恵那司の師匠、入間川親方(元関脇栃司)も国技館に来たが、弟子の引退届の扱いについては明言しなかった。
琴春日の師匠、佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)は「納得はしていないが、(琴春日の)家族の今後のことを考えた。師匠としてはつらい思いしかない」と語った。
相撲協会は引退(退職)届の提出期限を5日とし、従わない場合は退職金の出ない解雇処分を科す方針。該当の力士らは当初、処分を不服として提訴する意向を示すなど強く反発していた。しかし、3日の評議員会で親方らが理事会決定を了承したため、これを受け入れる動きが出てきたとみられる。
(時事通信 2011年4月4日 23:34)

特別調査委員会の伊藤滋座長は、野球賭博事件のとき、ろくな調査もしていない段階で、主に「最初はやっていないと、結果的に嘘をついた」ということから、報道陣の問いかけに対して、「琴光喜?クビクビ!」と得意気に言い放った人物である。人を裁くということに対する畏れ、相撲に対する愛情が感じられないどころか、品性、良識すらも感じられず、まったく信用できない。
そんな人物が中心となって、八百長相撲の実態解明を進めているのだというのだから、どうかしている。

今回、たまたまメールのやりとりから八百長の証拠(のようなもの)が押さえられたけれども、八百長相撲の証拠を押さえるのはとても難しい。特別調査委員会は「聞き取り調査と態度」を拠り所にして処分を決定したらしいけれど、そんな乱暴な話は少なくとも法治国家では通用しない。
そもそも八百長を取り締まる法律がないわけだけど、仮にそれが違法行為だとしても、その(八百長をした)証拠もないまま、親方、力士を解雇することは、明らかな違法行為ではないだろうか。

理事長サイドは提訴しても(処分された親方、力士側に)勝ち目はないなどと言って、脅しているらしいけれど、そんなことはない。この場合は、100%処分された側が勝つ。協会、理事長だけでなく、思い上がった調査委員会も提訴したらいい。いわれもなく自らの生活を脅かすものに対しては、敢然と戦うべきだろう。処分を受け入れれば・・・などという甘言に乗ってはいけない。理事長はどうか分からないけれど、少なくとも理事の中には脛に傷を持つ人が少なからずいるはずだ。

本来、大相撲のこんなことは旦那衆が片付けることだ。
野球賭博の件についても、八百長の件についても、相撲の世界には、ある程度あったことだ。
程度を超えそうになると、旦那衆が釘をさし、秩序が保たれてきた。
伊藤とかいうチンピラにやらせるからこんなことになるのだ。

相撲協会は、マスコミが振り回す無責任な良識に翻弄されている。
最近は政治がそれに乗っかるから始末が悪い。

協会はもう「大人の解決」をできなくなっている。
ここまで来れば、泥仕合もやむなしだろう。
けれども、それは破滅の道だ。

お金をちらつかせて処分者を丸め込むではなく、琴光喜関、大嶽親方(元貴闘力関)を活かすことを考えたら、道が拓けるのではないかと思っている。

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2010年6月18日 (金)

こっち側とあっち側〜相撲というあっち側社会をこっち側社会の論理で語るべきではない

相撲協会、21日に理事会 名古屋場所対応などを協議

17日午後、陸奥生活指導部長(元大関霧島)らが大嶽親方と豊ノ島関を呼んで個別に事実関係を聴い た。ただ警視庁の指導を理由に詳細は公表しなかった。

協会は21日の理事会で、7月の名古屋場所への対応などを協議。場所開催の是非も検討される可能性がある。

外部有識者による調査委員会には陸奥生活指導部長ら親方衆も加わる方向だったが、外部の人間だけ の組織とすることが確認された。

大嶽親方は17 日夕、東京都江東区にある大嶽部屋の前で「このたびはお騒がせして申し訳ありませんでした」と謝罪。「相撲協会と警察の方々に全部委ねているので何も言え ません。言える時期が来たら必ず皆様の前でちゃんと話します」と話した。

また豊ノ島関は「このたびは大相撲ファンと関係者にご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありません」 などとするコメントを出した。

(日本経済新聞  2010年6月17日 23:17)

国民の良識を代表するワイドショーのコメンテーターの皆さんによれば、仲間内の賭け麻雀、花札、 トランプ、ゴルフの「にぎり」なんかの類はいいけれど、野球賭博は、反社会的な組織・暴力団がからんでいて、金額が大きくなるからいけないのだと言う。

まったくその通りだと思う。きっと、コメンテーターの皆さんも小遣い銭を賭けた麻雀くらいはやっ たことがあるのだろう。

ところが、たまたま名前の出た大嶽親方、琴光喜関、豊ノ島関に対して個人的な攻撃を加え、賭博行 為をした親方、力士の個人名を公開しろと迫るのはどうかと思う。

興行と暴力団の関係は 古く、深い。
芸能人もお相撲さんも昔からそうい う社会で生きてきたのだ。

一般の人から見れば、 暴力団も芸能人もお相撲さんもあっち側の人で、こっち側に実害がない限り、それは許容されてきた。
それをいきなり「いけない」と言うのはどうかと思うけれど、いけないものはいけないのだから、国民 の良識がいけないと言うのなら仕方がない。
泣く 子と地頭には勝てない。
けれども、しかし、それ でも、個人の責任を追求することはちょっと違うのではないかと思う。

武蔵川理事長は、「膿を出し切って」と言ったというけれど、それが暴力団と関わりがあったり、賭博行為をした親方・力士を協会から追い出 すという意味ならば、相撲協会には誰も残らなくなってしまうことになりはしないだろうか。

これまでは、暴力団との付き合いや賭博行為を許容する雰囲気があったけれども、時代が変わったので、今後はそのようなことを協会は許しま せん。
今まできっちりとした線引きをしないでき たけれど、このへんできっちり線引きをさせてもらいます。そういうことにしなければ、私たちは相撲を楽しめないことになってしまう。

相撲協会のアンケートで賭博行為に関わったことがあると答えた力士65人の個人名を公開する必要はまったくない。野球賭博に関わったこと があると答えた29人についても同様。公表したら、国民の良識を商売にしている人たちの餌食になるだけだ。

相撲協会は、国民の良識に応えて、今後、暴力団との関係を根絶する方法、親方・力士に賭博行為をさせない方法を具体的に示せばそれで良い。
難しいことだとは思うけれど。

こっち側の人は、ヒリヒリするような勝負事の世界とは違うところにいる。
違うところにいて、その世界の一端を垣間見ることをアミューズメントにしている。

いろいろと問題があるのは分かるけれど、あっちの世界のことに、こっちの世界のモノサシであれこれ言わない方がいいのではないかと思う。

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2010年3月28日 (日)

TBSの傲慢さが目立った亀田興毅の世界戦

亀田陣営が裁定にクレーム 主審発言が混乱招く
世界ボ クシング評議会(WBC)フライ級王座統一戦で敗れた亀田興毅の陣営が27日、5回の減点についての主審の誤った発言を基に、日本ボクシングコミッション (JBC)に裁定への不服を訴えた。WBCは立会人と主審、JBCを交えて話し合い、裁定が正しいことを確認した。
試合は5回に偶然の バッティングで亀田興が負傷。WBCルールでは負傷しなかった側を1点減点するため、ポンサクレックから減点した。同じ回に再び偶然のバッティングがあっ たが、2度目は両者が負傷したため減点はなかった。
JBCの安河内剛事務局長によると、試合後の控室で主審が亀田陣営に「ポンサクレック を2点減点した」と誤った話をしたため、ライセンス無期限停止中の亀田興の父史郎氏らが「採点がおかしい」などと抗議した。同事務局長は「レフェリーが混 乱した。そもそもレフェリーは(選手側に)話をしてはいけない規則がある」と語った。
(産経ニュース 2010.3.28 01:08)

亀田興毅選手らしくない試合だった。
試合前、相変わらず強気の発言も伝えられたが、むしろ今回は、王者でありながら、青いグローブをするなど、謙虚さが目立った。
これが良くなかったのではないかと思う。
試合前の強気の発言は、亀田兄弟のスタイル。相手選手への敬意に欠け、馬鹿にしたような発言をしなければ、それはそれでいいのだ。
傲慢な態度を取ることによって、自分を追い込むことがなかった今回の試合は、おとなしく、淡泊で、闘志に欠ける内容になってしまったような気がする。
問題は試合後。亀田興毅選手本人は、素直に負けを認め、四方に丁寧に、深々と頭を下げたにもかかわらず、陣営から採点に関する抗議が出たりすると、興毅選 手自身がスポーツマンらしくないという評価をされることになる。

亀田兄弟の父・史郎さんが「採点がおかしい」などと抗議したと伝えられているが、どのようなニュアンスだったのか知らない。報道には、亀田家に対する悪意 が少し感じられるから、実際は違うニュアンスだったかも知れない。そのへんのところをインターネットメディアが伝えてくれたらと思う。

それにしてもTBSは相変わらずだ。救えない。
亀田選手の試合の前に放送されたK-1MAXは、それなりに楽しむことができたけれど、明らかに高視聴率が期待できる亀田選手の試合をネタにして、放送枠 を拡大し、売れるCM枠をより多く確保しようという営業的な意図が透けて見えた。小手先の演出も不快でしかない。
選手は生死を賭けてリングで戦っているにも関わらず、TBSには選手に対する敬意が決定的に不足している。それが不快感につながっている。
放送局の都合で遅い時間からの試合になって、観客、関係者、迷惑だった人はたくさんいるだろう。

演出された亀田家の傲慢さ以上に傲慢なTBS。
亀田家には、TBSと縁を切ることをお勧めしたい。

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2010年2月24日 (水)

国母選手の服装について

バンクーバー冬季オリンピックスノーボード日本代表の国母和宏選手の服装について、賛否両論があるようだ。
そのいくつかを読ませていただいて、どちらの意見にも「なるほど」と思うものがあったけれど、それほど深い問題でもないような気がする。

服装にはTPOがある。
南の島なら分からないけれど、今の日本で、たとえば葬式にアロハを着て出かける大人は(たぶん)いない。
数年後は分からないけれど、礼服を着崩して参列する人も今はまだいないだろう。

日本代表選手には、制服が支給されている。
選手は公式の場では、制服を着なさいということだ。
代表選手の入出国の場面は、マスコミの取材が入るところでもあるから、公式の場ということになる。
そこで支給された制服を着崩したりするのは、中学生や高校生が学ランに細工をするようなもので、おじさんは見苦しいと思う。少なくとも着崩すという感覚は、大人の感性ではない。
「個性」という言葉が賛成者の文章の中にあったけれど、アスリートが「個性」を発揮するのは、そんなところではなく、まさに競技の場であるはずではないだろうか。つまらんことに固執しないで、競技に集中しろというのがおじさんの感想である。

昔、何かの記事で読んだことがあるけれど、エジプトの壁画の中に、「最近の若い者はなっていない」という落書きがあるそうだ。
世の中は変わっていくが、年配者は常に若者に否定的だ。

国母選手の服装や態度は、今回、少しばかり許容限度を超えていた。
来年はまた違った対応になるのかもしれないけれど、年配者の頑迷さは古今東西変わらない。国母選手にはその加減を誤った甘さがあった。まだ、成熟していないのだろう。
2000年以上も前から繰り返されてきた若者と年配者の対立。それだけのことである。大騒ぎすることではない。
問題になる前に、ちゃんとしたアドバイスをしてくれる指導者、先輩がいなかったのが、国母選手の不幸だったかもしれない。

例によって、マスコミが過熱報道する中で、気になった国母選手の言葉があった。
「もう2週間も雪を見ていない」
あれあれと思った。
どんな事情があったのか、作戦があったのか知らないけれど、直前まで国内で調整を続ける女子フィギュアの選手たちとの落差を感じた。

彼は本当に勝つつもりで、バンクーバに行ったのだろうか。

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2010年2月13日 (土)

ライバルのいない不幸

朝青龍関が引退を決めた途端、彼に対するマスコミの論調は少し優しくなった。
自分たちが彼を引退に追い込んだわけではないと言いたいのかもしれない。

本場所中に朝方まで酒を飲み、記憶がなくなるまで泥酔するのは、いくらなんでもどうかと思う。
しかし、彼は勝ち、優勝までしてしまうのだから、文句は言えない。
文句を言うとしたら、そんななめた奴に幕内最高優勝をさらわれた他の力士たちに言わなければならない。

朝青龍関は、相撲協会を日本社会をなめていた。
まだ戦える力を充分に残しながら、引退しなければならなかったのは、身から出た錆と言えると思う。
だから、私は、朝青龍関を「気の毒に」と思う気持ちはない。
内館さんが言ったように、彼は相撲協会に、日本社会に対する敬意が足りなかった。
敬意を払わない人物に高額の報酬を払い続ける理由はないではないか。

朝青龍関は「一人横綱」を21場所つとめた。
「一人横綱の重圧」とか言うけれど、言い換えれば、その間強力なライバルがいなかったということになる。
朝青龍関と曙関、若乃花関との対戦はなく、貴乃花関には2戦して2敗、武蔵丸関とは9戦して4勝、白鵬関とはほぼ互角の対戦成績ではなかったかと思う。
強いものには、やっぱり勝てなかったのだ。
ライバルがいなかったということが、結果的には、彼のためにならなかったということなのだろうと思う。

朝青龍関のマスコミ対応を見ていると、「酷いなぁ」と思う。
こんな対応をしているから、マスコミにたたかれるのだと思う。
しかし、ライバル不在で、たいして稽古をしなくても勝ち続けることができた若者が増長するのは、当たり前だ。
やっぱり、ライバルに恵まれなかった朝青龍関は不幸だったのだなと思うしかない。

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2009年9月29日 (火)

もう負けてはいけないタイガース 。

タイガースは、今日スワローズに勝って、64勝70敗。残り試合6。

クライマックスシリーズという制度に賛成することはできないけれど、私を含むタイガースファンは、クライマックスシリーズ参戦権を得て、分の悪いドラゴンズ戦を勝ち抜き、特に後半戦は分のいいジャイアンツ戦に勝利して、日本シリーズ進出を夢見ている。

もし、タイガースがクライマックスシリーズに進出し、日本シリーズにまで駒を進めることになれば、関西地区では600億円を超える経済効果があるらしい。 けれども、どうだろう。レギュラーシーズンで5割勝てなかったチームが日本シリーズを戦うことになってもいいのだろうか。

そういうルールで戦っているのだから、別にいいじゃないかという言い分もあるとは思うけれど、私はレギュラーシーズン5割に満たなかったチームにはクライマックスシリーズへの参戦権がないということにしてもいいのではないかと思う。

クライマックスシリーズという制度自体がおかしいのに、勝ち越せなかったチームまでが「日本一」という栄誉を得る可能性があるということになると、レギュラーシーズンは、ますます単なる「興行」に成り下がってしまう。

制度は制度なんだけど、私はやっぱり、せめて残り全勝して、70勝70敗の五分でタイガースにクライマックスシリーズに進出して欲しい。仮に勝率5割以下でクライマックスシリーズへの進出が決まったら、辞退して欲しい。

残り6試合、6連勝でようやく5割。クライマックスシリーズ進出を目指すのであれば、タイガースはもう負けてはいけない。

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2009年7月28日 (火)

順調でなかったからこそつかんだものがある~宮里藍選手の優勝

宮里藍選手がプレーオフの末、エビアン・マスターズを勝った。
優勝を決めるバーディーパットを決めた後、宮里選手は少し控えめに、けど堂々と拳を突き上げ、感極まったのか、キャップのつばを左手で引き寄せて、こみ上げるものをこらえた。
「あぁ美しいな」と思った。

宮里選手は東北高校在学中に「ミヤギ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント」を勝ち、そのまま史上初の高校生プロゴルファーになった。
翌2004年、エリエールレディスに優勝するなど、ツアー5勝をした。賞金ランキング2位、日本プロスポーツ大賞新人賞の受賞。
2005年、ワールドカップ女子ゴルフに優勝。LPGAツアーの予選会を圧倒的な成績で通過、2006年からはL.A.を拠点にアメリカを主戦場にした。
2006年2月の世界ランキングで宮里選手は6位である。順調すぎるくらい順調だった。
メジャー優勝も時間の問題。自他共にそう思っていただろう。

ところが、その2006年から調子は下降線をたどった。
一時、パターを変えるなど、素人目にも迷い、自分のスタイルをつかみきれずにもがいているのだということが分かるほど低迷した。
痛々しいほどだった。本人の苦悩はどれほどだったろう。

今年になってから、何があったのか分からないけれど、身体のそこここに強張りはまだ残っているものの、ギラギラしたものがなくなり、ふっと軽くなったような印象があった。
エビアン・マスターズの宮里選手は、とてもリラックスしているように見えた。
これから打つ1打に集中できているように見えたから、良い結果になるのではないかと思えた。

自分をコントロール(身体も精神も)できたのが良かった。
宮里選手はインタビューでそう言っていた。
新しく何かをつかんだのだなと思った。
たくましいな、立派だなと思った。

宮里選手は、息をつくまもなく、今度は全英女子ゴルフに挑む。
また別の重圧が彼女を苦しめるだろう。
けれども、順調にいかなかったからこそ、つかんだものが彼女にはある。
それが全英女子で生かされれば、彼女はまた違う境地に達することができるだろう。

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2009年2月13日 (金)

ミニバス試合観戦

娘は3年生だった昨年の3月からミニバスをはじめた。
指導者が熱心にやってくれるので、土曜日も日曜日も朝から晩まで練習をすることが多い。
それまでは、休みになると買い物に行ったり、旨いものを食べに行ったりしていたから、我が家の生活は一変した。

パパも昔は体育会系の部活をやっていて、小学校のころは野球部のキャプテンをやっていたけれども、飽きっぽくって、怠け者だったから、何かと理由をつけては練習をサボって、遊びに出かけていた。

「どうしてミニバスをはじめようと思ったの?」
娘に聞いてみた。
「友だちに誘われたから」
「楽しいの?」
「楽しいよ」
娘の表情は少し複雑だった。

子供は自分の欲望に素直だから、こんな複雑な表情はしない。
「快」、「不快」がはっきりしている。
成長したのだなと思った。

成長することによって、引き受けなければならない辛さがある。楽しみも大きくなるけれども。
そういう年頃になってしまったということが、パパとしては少し寂しい。付き合い方を変えていかなければならないからだ。

最上級生が引退して、4年生の娘にも出番が回ってくるようになった。
ミニバスは登録メンバーは必ず1Qは出場しなければならないというルールがあって、チームはそれほど選手層が厚くない。選手としての責任は重くなる。

娘が出場する試合を観に行った。
以前、パパが試合を観に行くことを歓迎しないようなことを娘が言ったことがあったので、しばらくは遠慮していたのだけれども、試合に出ていると聞くと我慢ができなくなった。

娘の背番号は11番。
番号から見ると、3番目の補欠選手だ。

コートにいる娘はヒョロっとして頼りなさそうに見える。
家にいると「チビ」だけど、同学年の選手の中では一番背が高い。
それだけで、娘には娘の世界があり、どんどん手の届かないところへ行こうとしていることを感じてしまう。

娘の動きはもっと頼りない。自分がどう動けばいいのか分からなくなるようで、ポツンとしていることがある。
それでもたまには空いているスペースを見つけて駆け込んだりするから、親馬鹿かもしれないが、センスは悪くないのではないかと思う。
サッカーを研究して、観戦眼を磨いたばあちゃんは、「頭でプレーしている。身体が自然に動くようにならなければダメだ」と評した。
パパはボールに対する意欲が足りないように思えた。

コートの中の娘にどのような役割が与えられているのか知らない。
けれども、どうやら役割を果たせていないらしい。
コーチから名指しで叱責が飛ぶ。
体育会系の厳しさは分かっているつもりだけれども、身が縮む思いがする。

パパが通っていた中学はバスケットボールが強くて、仲間にはバスケットボールで大学、社会人まで進んだ奴もいる。
ミニバスのコーチも経験した仲間と酒を飲んだときに、聞いたことがある。
「年端も行かない子供たちに、あそこまでキツイ言葉を浴びせる必要があるのか。子供たちを萎縮させるだけではないのか」
「強くしたいと思うとそうなるんだよ」
答えになっていないような気もしたが、妙に納得した。

試合には勝ったけれども、コーチにこっぴどく叱られた娘は、しょんぼりした様子で帰ってきた。

「楽しかったか」
いつものようにパパは訊いた。
「うん」
少し無理をして娘は笑ってみせた。
「そうか・・・楽しくやるのが一番だ。・・・ところで、もっと巧くなりたいか、勝ちたいか」
「巧くならなければ、勝てない」
絞り出すように娘は言った。

それでも・・・やっぱり楽しめるようにならなければ・・・。悲壮な決意だけじゃダメなんだ。
パパはそう思ったけれども、その言葉は飲み込んで、娘の頭を撫でた。

新人戦ははじまったばかりだ。

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2009年1月 4日 (日)

箱根駅伝

お正月といえば、箱根駅伝だ。
ぬくぬくと暖かい部屋で、家族・親戚に囲まれて、酒を飲みながら、1本の襷をめぐる物語を居眠りしつつテレビ観戦していると、ほろ酔い気分も手伝って、天下泰平、これぞ「正月気分」といった幸せな心持ちになってくる。

毎年、楽しみにしている箱根駅伝だけれども、観戦しながら話をしていると、驚くほど過去の記録を覚えていないことに気がつく。
私は昨年の優勝校は順天堂大学だと思っていたけれども、調べてみると順天堂大学の優勝は一昨年のことで、昨年は往路・早稲田、復路・駒澤で総合優勝は駒澤大学だった。昨年のことすらはっきりとは覚えていないのである。

早稲田、順天堂、日体大が伝統校で、大東文化大、山梨学院大、神奈川大が新興勢力、近年は駒澤の天下というのが私のぼんやりとしたイメージ。
記録をひも解いてみるとそのイメージは確かではあるけれど、82回大会優勝の亜細亜大学はまったく記憶になく、逆に72回大会優勝の中央大学を鮮明に覚えていたりする。
http://www.ntv.co.jp/hakone/85/date/date_02.html
人の記憶というものは、まったく当てにならない。

どんなことを記憶して、どんなことを忘れてしまうのか。そのメカニズムはどうなっているのだろう。
私の場合、箱根駅伝に関して言えば、途中棄権とか、襷がつながらず繰り上げスタートとか、悲しい場面が記憶に残っていることが多い。
最も鮮明に記憶しているのは、山梨学院大学・中村祐二選手。
箱 根で走ることに憧れて、実業団から山梨学院大学に転じた中村選手は、1年生のときに3区区間賞、2年生のときに2区区間賞の成績で連続優勝に貢献。期待さ れて臨んだ96年の72回大会の2区でまさかの失速。脱水症状を起こし、ふらふらになりながら、前に進もうとした。しばらく伴走していたコーチが見かねて 中村選手の身体に触れ、途中棄権(失格)が決まった。泣き崩れる中村選手・・・。
翌年、中村選手は同じ2区で区間賞の快走で雪辱を果たすけれども、山梨学院大学は総合2位に終わった。

今年の箱根は、2区での日本大学・ダニエル選手の20人抜き、5区で東洋大学・柏原選手の9位から逆転でトップに躍り出る快走、復路での東洋大学と早稲田大学のデットヒートと見所が満載だった。
意地と意地のぶつかり合いのようなデットヒートを観ながら、居眠りをしながら、そもそも箱根駅伝というのはどんなきっかけで始まったのだろうと考えた。

そう思ったのにはきっかけがある。
昨年の暮れ、仕事上の必要で古い写真を集めていた。
全共闘世代で関西の大学にいたOさんから提供された写真の中に不思議な写真があった。
乳母車に乗った学生が京都駅前の横断歩道を渡っている写真だ。
「これは・・・?」とOさんに訊くと、「学生はヒマなんでね。乳母車で京都を一周しようという下らないことを考えたんだな」ということだった。
箱根駅伝も、もしかすると、そういった「ヒマを持て余した学生の下らない思いつきがはじまりかもしれない」なと思うと楽しくなった。
「箱根までどの大学が先に着けるか、競争しようぜ」
そんなことではじまったことがこれだけ大きな大会になったのだとしたら、痛快だと思った。

調べてみると、「アメリカ大陸縦断駅伝」構想が元になり、その予選会として「箱根駅伝」が開催されたことが分かった。
http://www.ntv.co.jp/hakone/85/story/01_prologue.html
想像を超えた痛快さだ。

箱根駅伝は日本テレビが完全生中継している。ずっと前からそうだったように思っていたけれども、日本テレビの中継は87年からなのだそうだ。
第1回大会は、1920(大正9)年、出場校は早稲田、慶応、明治、東京師範(現筑波大学)の4校。
選手を揃えることすら難しい時代だったようだ。

箱根駅伝は今も基本的には学生の手で運営されている。
箱根駅伝が現在の隆盛を迎えたのは、日本テレビが中継し、サッポロビールがメインスポンサーになったことが大きいとはいえ、きっかけは、学生の希有壮大な馬鹿馬鹿しい思いつきだ。
そうした馬鹿馬鹿しいことを思いつき実行に移すだけの自由な雰囲気が若い人たちの間にあるだろうか、それを許容するだけの余裕が社会にあるだろうか。
社会の活力というのは、実行力のある若者たちが無鉄砲にはじめることを許容する余力がどれだけあるのかということかもしれないと思う。

「アメリカ大陸縦断駅伝競走」とか「シルクロード駅伝競走」とかが実現できたら、それは面白いだろうなと思う。

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2008年10月29日 (水)

ありがとう。Qちゃん。

高橋尚子引退:会見で表明「完全燃焼、さわやかな気持ち」
2000年シドニー五輪陸上女子マラソン金メダルの高橋尚子選手(36)=ファイテン=が28日、東京都内で会見し、競技生活からの引退を正式表 明した。理由について高橋は「練習でどう試行錯誤しても、全力でやっても、納得いく走りができなくなった。肉体的、精神的に限界を感じた」と説明。現在の 心境について「自分の中では完全燃焼。さわやかな気持ちです」と笑顔で語ったが、会見の最後には感極まって涙を流し、顔を手で覆う仕草を見せた。
高橋選手は3月の名古屋国際女子マラソンで27位に終わり、北京五輪出場を逃した。今年5月からは米国を拠点に東京国際(11月16日)、大阪国際(来年1 月)、名古屋国際(来年3月)の3大会連続出場を目指して練習を積んでいた。しかし、自身が計画したレベルの走りができず、8月下旬ごろから悩 んだ末、10月10日に所属先からの了解も得て、3大会に出場せず引退することを決めたという。
今後について高橋選手は「具体的なことは決めていないが、多くの人に陸上の楽しさを伝えていきたい」と語り、愛好者として走り続けることにも意欲を見せた。【石井朗生】
【略歴】高橋尚子
県岐阜商高、大阪学院大を経て95年にリクルートに入り、小出義雄氏の指導で成長。積水化学に移った翌年の98年バンコク・アジア大会で2時間 21分47秒の日本最高記録(当時)を出し優勝。00年シドニー五輪で日本陸上女子初の金メダルを獲得し、国民栄誉賞も受賞した。01年ベルリン・マラソ ンで2時間19分46秒の世界最高記録(当時)を樹立。03年からスポンサーと所属契約を結ぶプロ的な活動を開始した。05年に小出氏から独立。ファイテンに所属して専属スタッフとともに活動していた。163センチ、46キロ、36歳。
(毎日新聞)

トップアスリートの引退会見は寂しい。
高橋尚子選手の引退会見は痛々しかった。
ニュース番組をはしごして、何度も何度も会見を観た。

1998年の名古屋国際。マラソン2戦目で優勝を飾った高橋尚子選手はふっくらとしていて、愛らしかった。
2000年のシドニーオリンピック。羽根が飛ぶように軽やかに走った彼女は「すごく楽しい42キロだった」と言った。
翌年のベルリン。世界最高記録で走り抜けた彼女はナイフのように研ぎ澄まされていた。

「人の2倍やって、人並み、3倍やってようやく勝てる」彼女はそう思いこんでいて、ベルリン後の彼女は、明らかにオーバーワーク、絞りすぎになっていた。
肉体的にも精神的に限界まで追い詰められていたのだろう。不安を振り切るように彼女はさらに肉体を苛めた。そうしていながら、彼女はいつも笑顔を作ろうとしていた。

王貞治選手は1980年の引退会見で「王貞治のバッティングができなくなった」と言った。高橋尚子選手は「プロ高橋としての走りができなくなった」と言った。
自らに課しているハードルが高いのだろう。

引退会見といえば、千代の富士関のそれが印象的だ。
「体力の限界・・・気力もなくなり、引退することになりました」
悔しさが滲んでいた。

高橋選手は「さわやかな気持ち」と言った。
そういう気持ちはあるだろうと思う。解放感に似たような気持ちもあるかもしれない。
しかし、やっぱり悔しい気持ちが一番強いのではないだろうか。

そんな気持ちを押し殺して、彼女はやっぱり笑顔を作って見せた。
会見が終わって、はじめて彼女は涙を見せた。
会見が終わって、プロ高橋が終わったということを改めて感じたのだろう。

「夢は叶う」という貴女のメッセージはみんなに届いているよ。
ありがとう。Qちゃん。

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