2009年5月11日 (月)

パパの出来ること

最近、娘の頭を撫でようとすると、「やめて」とちょっとキツイ口調で言われるようになった。そう言われても、パパの楽しみのひとつだから、「ハイ、そうですか」と引き下がるわけにいかない。

パパが帰ってくると、娘は待ちかねたように「(トランプゲームの)スピードをしよう」と誘う。ついこの間まで娘はパパにまったく歯が立たなかった。ところがやがて勝ったり負けたりになって、最近は、パパが負けることが多くなった。

実力が拮抗している相手との勝負は楽しい。それがついこの間まで歯が立たなかった相手だから、なおさら楽しいのだろう。

パパは条件を出す。
「いいよ。但し、1回だけ。パパが勝っても負けても頭を撫で撫でさせてもらう。いいか?」
娘は少し考える。
「うーん・・・。いいよ。やろう」

娘がミニバスをやりたいと言ってきたのは、昨年の3月。4月から4年生になるというときだった。
仲のいい友だちに誘われたからだという。
ミニバスの練習は、火曜日、水曜日、金曜日の授業が終わってから、19時ころまで。土曜日は午後から17時ころまで。
月曜日、木曜日、日曜日は基本的にお休みだけれども、月曜日はスイミング、木曜日は英語の教室に通っているから、休みは日曜日だけになる。
その日曜日も、ミニバスの試合、練習試合、遠征でつぶれていく。
熱心に指導してくれるコーチ、サポートしてくれるマネージャー、父兄の方々には頭が下がるけれども、少し寂しい思いがする。

娘はミニバスの練習や試合にパパが来ることをあまり歓迎しない。
「どうしてだろう」
酒の席でそんな話をした。
「女の子って、自分の成長が誇らしいようで、気恥ずかしいようなところがあるのよ。特に男親に対してはね」
同年輩のチーママが言うと、20年来の友人はカッカッカッと笑って、「そんな難しいことじゃない」と言う。
「お前のことだから、試合を観た後、娘さんに精神論をぶつだろう。それがわずらわしいんだ。それだけだよ」
そういえば・・・。
「たくさん練習をした奴が勝つ」とか、「ボールに対して、もっとアグレッシブにならなけりゃダメだ」とか、「もっと自分で決めるという意識を持て」、「積極的に切り込んでこそ道は拓ける」とか言ったなぁ。

ママは高校時代バスケットボールをやっていた。
パパは県大会で優勝するようなレベルの仲間たちと3on3で遊んでいたけれど、ルールもポジションも、戦略・戦術も良く知らない。
娘はママの話はよく聞く。
二人の会話には専門用語が混じるから、パパには何を言っているのか分からなくなる。
言葉も通じない奴につべこべ言われたくないのだろう。
そう得心して、娘に提案してみた。
「(試合について)何も言わないから、パパも試合を観に行ってもいいかなぁ」
・・・娘は聞こえないフリをした。
チーママの言っていることの方が正しいのだろうか・・・。

今日も帰ってくると「スピードをしよう」と誘われた。
「夕はんを食べてから、1回だけだぞ」などと勿体つけたりする。
今日はパパの完敗だった。

娘のために、パパがしてあげられることがどんどん少なくなる。
成長しているということなのだけれども、少し寂しい思いがしている。

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2009年2月13日 (金)

ミニバス試合観戦

娘は3年生だった昨年の3月からミニバスをはじめた。
指導者が熱心にやってくれるので、土曜日も日曜日も朝から晩まで練習をすることが多い。
それまでは、休みになると買い物に行ったり、旨いものを食べに行ったりしていたから、我が家の生活は一変した。

パパも昔は体育会系の部活をやっていて、小学校のころは野球部のキャプテンをやっていたけれども、飽きっぽくって、怠け者だったから、何かと理由をつけては練習をサボって、遊びに出かけていた。

「どうしてミニバスをはじめようと思ったの?」
娘に聞いてみた。
「友だちに誘われたから」
「楽しいの?」
「楽しいよ」
娘の表情は少し複雑だった。

子供は自分の欲望に素直だから、こんな複雑な表情はしない。
「快」、「不快」がはっきりしている。
成長したのだなと思った。

成長することによって、引き受けなければならない辛さがある。楽しみも大きくなるけれども。
そういう年頃になってしまったということが、パパとしては少し寂しい。付き合い方を変えていかなければならないからだ。

最上級生が引退して、4年生の娘にも出番が回ってくるようになった。
ミニバスは登録メンバーは必ず1Qは出場しなければならないというルールがあって、チームはそれほど選手層が厚くない。選手としての責任は重くなる。

娘が出場する試合を観に行った。
以前、パパが試合を観に行くことを歓迎しないようなことを娘が言ったことがあったので、しばらくは遠慮していたのだけれども、試合に出ていると聞くと我慢ができなくなった。

娘の背番号は11番。
番号から見ると、3番目の補欠選手だ。

コートにいる娘はヒョロっとして頼りなさそうに見える。
家にいると「チビ」だけど、同学年の選手の中では一番背が高い。
それだけで、娘には娘の世界があり、どんどん手の届かないところへ行こうとしていることを感じてしまう。

娘の動きはもっと頼りない。自分がどう動けばいいのか分からなくなるようで、ポツンとしていることがある。
それでもたまには空いているスペースを見つけて駆け込んだりするから、親馬鹿かもしれないが、センスは悪くないのではないかと思う。
サッカーを研究して、観戦眼を磨いたばあちゃんは、「頭でプレーしている。身体が自然に動くようにならなければダメだ」と評した。
パパはボールに対する意欲が足りないように思えた。

コートの中の娘にどのような役割が与えられているのか知らない。
けれども、どうやら役割を果たせていないらしい。
コーチから名指しで叱責が飛ぶ。
体育会系の厳しさは分かっているつもりだけれども、身が縮む思いがする。

パパが通っていた中学はバスケットボールが強くて、仲間にはバスケットボールで大学、社会人まで進んだ奴もいる。
ミニバスのコーチも経験した仲間と酒を飲んだときに、聞いたことがある。
「年端も行かない子供たちに、あそこまでキツイ言葉を浴びせる必要があるのか。子供たちを萎縮させるだけではないのか」
「強くしたいと思うとそうなるんだよ」
答えになっていないような気もしたが、妙に納得した。

試合には勝ったけれども、コーチにこっぴどく叱られた娘は、しょんぼりした様子で帰ってきた。

「楽しかったか」
いつものようにパパは訊いた。
「うん」
少し無理をして娘は笑ってみせた。
「そうか・・・楽しくやるのが一番だ。・・・ところで、もっと巧くなりたいか、勝ちたいか」
「巧くならなければ、勝てない」
絞り出すように娘は言った。

それでも・・・やっぱり楽しめるようにならなければ・・・。悲壮な決意だけじゃダメなんだ。
パパはそう思ったけれども、その言葉は飲み込んで、娘の頭を撫でた。

新人戦ははじまったばかりだ。

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2008年10月27日 (月)

パパと娘の休日

この春にミニバスをはじめて以来、娘の休日はほとんど試合、遠征で埋められてきた。
パパは根っからの怠け者なので、そうした毎日には耐えられない。
パパの尺度で考えると、辛いけれど我慢しているのではないかと思っていた。
「(ミニバスは)楽しいか?」と訊くと、笑顔で「楽しい!」と答える。
表情やしぐさから察するに、その言葉に嘘はないようだ。

何が彼女のモチベーションになっているのだろう。

この日曜日、娘は久しぶりの完全OFFだった。
残念ながら、ママは所用で不在。
数日前から、パパと二人きりの休日をどう過ごすか・・・娘よりもパパの方が楽しみにしていた。

早くに起こされ、まずは9時開店の手芸店に行く。
シリコンでできた豆粒ほどのスイーツの模型を大量に購入。缶ペンケースにそれを貼り付けるのだという。
パパにはそれのどこが面白のか分からないが、1個200~300円する模型を楽しそうに選んでいる。
本当はママと相談しながら、選びたかったらしいけれども、ママは不在。
パパはときどき口を挟んでみるけれど、娘は曖昧な表情をするだけで、参考にする気配はない。
2,000円くらいするのかなと思いつつレジへ行くと、5,000円!
自分のおこづかいで買うのだと言っていたけれど、少し足りなくって、残りをパパが出す。
こんなものに5,000円!・・・というのがパパの素直な感想。夕食の後、ママと一緒に貼り付けをするのだと嬉しそうに話す娘とパパとの間に想像以上のギャップがあるのだということを感じる。このギャップは、ママと娘との間にはないのだと思うと、嫉妬心のような気持ちが湧き上がってくる。娘は成長するに従って、パパから離れていく。分かっているけれども分かりたくない寂しい現実が徐々に明らかになっていく。

手芸店からプールに行く。
バタフライを覚えたから見てくれと言う。
娘がスイミングに通いはじめて、もう2年くらいになるだろうか。
バタフライは難しい泳法だ。体力も使う。
ドルフィンキックでできた勢いと身体のしなりで上半身を起こし、息継ぎをする。お尻を持ち上げるようにして、上半身を水の中に潜り込ませ、次のドルフィンキックにつなげる。このタイミングが難しい。勢いが出ないと溺れているようにしか見えない。
娘は25mを泳ぎ切って、ちょっと得意そうな顔をした。
ちょっと前は、パパが泳ぎを教えていて、10mを泳ぐのがやっとだった。
背筋を伸ばすこと、腕を伸ばすこと、そうすれば、人間の身体は自然に浮く。そう教えたけれど、彼女の泳ぎはもがき苦しみ、泳いでいるのか溺れているのか分からないような泳ぎだった。

「100m泳いでみよう。最初はクロールで50m、次の50mは平泳ぎ、まだ泳げそうだったら背泳ぎとバタフライをやろう」
そう言って泳ぎはじめた。
パパは100m泳いだところでいっぱいいっぱい。遊泳コースに外れて、歩きはじめた。
遅れてきた娘もやめると思っていたら、ターンをして泳ぎつづける。パパは歩く。
結局、娘は300m泳いだ。パパは200m歩いた。

少し休んでから、競争した。
結果。クロールは娘の勝利。平泳ぎはパパの勝利。背泳ぎとバタフライは引き分け。
たぶん、何もしなければ、もう数ヶ月でパパは全面的に娘に敵わなくなるだろう。
パパに勝った!と娘に喜んでもらうためには、パパはこっそりトレーニングしなければならないかもしれない。

疲れきって、予定より少し早くプールを後にした。
昼食は、ビュッフェスタイルのレストラン。
パパはこのところ特に食が細くなっていて、娘の旺盛な食欲を目を細めてみている。
パパがギブアップしてからも、娘は食べ続け、デザートもパパがアイスクリームを少し舐めただけなのに、山盛りのアイスクリームを難なく平らげ、さらにプチケーキとぜんざいをいくつか腹に収めた。
大人1,300円、小学生950円という価格設定をレストランは見直すべきだと思う。

パパのご飯茶碗が割れてしまっていて、娘のものもひびが入っていたので、作家さんの陶器が買える雑貨屋さんに行く。
ひびが入っても使い続けている娘がお気に入りの茶碗はここで買ったもの。
店に入ってすぐにお気に召すものをみつけたようだ。
お店の人にもう少し大きいものの方がいいのではないかと、いくつか別のものを勧められて、少し気持ちがうごいたようだけれども、娘は結局第一印象を大事にした。以前から使っている茶碗と同じ作家さんのものだった。

デパートを冷やかしてから帰途に着いた。
筋肉痛で顔を歪ませながらパパが運転する車の後部座席で、娘は眠そうにぼんやりと外を見ていた。

この日の菊花賞。絶対的な本命のいない波乱含みのレースで、私はあまり迷わず春のレースで実績を残しているけれども人気薄の2頭を買った。
上がり馬の1番人気と意外な一頭で決まった。

当たり前のことだけれども、競馬は分からない。乗っているのは他人だし、走っているのは畜生だ。
まして、この先の人生が予想できるわけもない。

けれども確かなこともある。

娘に教えてやれることもだんだん少なくなるなと思いつつ、パパは今夜もビールを飲んでいる。

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2008年8月20日 (水)

娘の成長~ミニバスの練習試合

娘がミニバスをはじめて、我が家の生活は大きく変わった。
もう5ヶ月になる。

娘がどうしているか気になって仕方がないので、練習を何度かこっそりのぞきに行ったことがある。
娘は違う世界にいる自分を、パパに見られるのを歓迎していない・・・ような気がしたからだ。

お盆休みに練習試合があるというので、観に行ってきた。

2日間連続で8チームが参加する規模の大きな練習試合で、ママは初日の朝からずっとアテンドしていたけれども、パパは用事があって、初日は観に行けなかった。
実は、2日目も最初は観に行くつもりはなかった。やらなければならないことがたくさんあったし、ママと楽しそうに打ち合わせをしているくせに、パパには詳しい日程さえ教えてくれなかったことにへそを曲げていたのだ。
気持ちが変わったのは、初日の練習試合に娘が出場したという話を聞いたからだ。
観たいという気持ちが抑えられなくなった。
それでもグズグズしていると、義妹が一緒に行こうと背中を押してくれた。
義妹と甥っ子2人を連れて会場に向かった。

会場に着くと、午前中の1試合目はすでに終わり、昼休みにあわせて行われる普段出場機会のない下級生たちのエキジビションマッチも半分終わっていた。
ママの情報によれば、1試合目に出場機会はなかったものの、エキジビションマッチには出場したとのことだった。

エキジビションが終わり、次の試合の選手たちがコートに出て練習を始める。
娘も出てきた。少し足を引きずるような仕草をしている。
義妹から「足のマメを潰したらしい」との情報が入る。
甥っ子が娘の名を呼んで声援を送ると、娘は少し戸惑ったような顔をした。

午後からの第1試合に娘は出場しなかった。
次の試合は約90分後。
甥っ子たちがむずがりはじめたので、義妹は帰っていった。
仕事のことが少し気になったけれども、残ることにした。

観覧席に移り、他のチームの試合を観戦する。
娘よりも小さな女の子もいる。彼女らは休むことなくコートを縦横無尽に駆け回る。すごい運動量だ。

高校時代にバスケットをやっていたママには敵わないかもしれないけれど、パパはバスケットボールの試合を観る目が肥えているつもりだ。
パパが通っていた中学はバスケットボールの強豪校で、よく応援に行っていたし、選手の多くは仲間で、一緒にバスケットボールをして遊んでいた。
彼らが高校、大学と進学しても付き合いは続いていて、相当数の試合の応援に行っていた。

娘は第3試合の第2クォーターに出てきた。

守りのときは、直線的にボールに向かいすぎる。仕方がないけれども、流れではなく、ボールを見ているようだ。
もっと広い視野を持つことができれば、誰かがプレッシャーをかければ、ボールがどこに出るか予測がつくはずだ。
攻めのときは、コーチにそう指示されているのだろう、一目散にエンドラインの隅に行って、「見学」している。

それでも何度か娘にボールが渡るときがあり、そのたびにパパはドキドキした。

ミニバスをはじめたころ、こっそり観に行った練習では、ちんたらしているように見えた娘の動きは、見違えるように機敏になっていた。
パパは歩きはじめたころの娘を思い出し、寂しいような、頼もしいような複雑な気持ちになっていた。

家に戻ってきた娘は「疲れた」を連発し、すぐにベッドルームに行った。
娘はまだ一人で寝ることができない甘えん坊なので、アテンド役にはパパが指名された。

「足は大丈夫か?マメが潰れたらしいな。痛いか?」
「痛い」
「痛いという素振りを見せるとコーチに使ってもらえないぞ。試合に出たかったら、痛くてもそんな素振りを見せたらダメだ」
「分かってるよ」
「攻撃のときに、すぐにエンドラインにつくのは、コーチの指示なのか?」
「オフェンスのときはそこにいろと言われているんだ」
「180度からシュートを決める練習をしろ」
「誰もパスをくれないよ」
「決められるようになれば、パスが来るようになる」

バスケットボール選手としては身長の足りなかったパパの同級生は、まさに180度からのシュートの精度を上げることによって、レギュラーの座をつかみ、大学までバスケットボールを続けた。

「そうかなぁ」
「あとな、試合を点で見てはダメだ。ボールの動きではなくて、選手の動きを見るんだ。そうすれば、どこに動けばいいか、何をしたらいいかが分かる」

パパはいつも偉そうな評論家だ。
娘はそれにうんざりしはじめていて、受け答えが上の空になっている。

「それから・・・」
パパが興奮気味に話しかけているのに、プツンと反応がなくなる。
娘は小さな寝息を立てている。疲れたのだろう。

娘の寝顔はまだ幼く、成長したとはいえ、まだ身体は小さい。
指なめの癖もまだ直らない。

まだまだ、パパの腕の中にいるなと思いながら、娘の寝顔をしばらく観察する。
けれども、こうしていられるのも、もうそんなに長くはないのだと感じる。

そっと、ベッドを抜け出して、パパはビールを飲むことにした。

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2008年8月11日 (月)

娘との対話~ヒロシマを伝える。

原爆の悲惨さを知ったのは、「はだしのゲン」という漫画だった。
細かいことは憶えていない。小学生だった私には刺激が強すぎて、まともに読めなかったのだ。
倒 れた建物の下敷きになって、生きたまま焼かれるゲンの両親。熱線に焼かれて、皮膚がめくれてしまった人たち。水が飲みたくて、川に殺到し、そのまま溺れ死 んでしまう人たち。とてもこの世のものとは思えなかった。戦争の悲惨さとか、原爆という兵器の残虐さとかそういうものを感じる前に、自分が拠って立つ場所 が危うくなるような不安感を感じて気持ちが悪くなった。

8月6日に広島にいたことがある。わざわざその日を選んだわけではないけれど、福山市鞆の浦にロケに行っていたのだ。
広島という土地に足を踏み入れるのは、正直少し怖いような気がしたけれども、ロケの合間を縫って、広島平和記念公園の周辺を歩き、記念資料館を見学した。
資料館で見た子供のワンピース、女学生の服が今も忘れられない。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/
焼け焦げて、ボロボロになったそれを見て、この娘はどんなに辛い思いをしたのだろうかと思ったとき、涙が溢れてきた。
その娘の親の気持ちを思ったとき、弾けるものがあって、とても立っていられなくなった。

広島への原爆投下は避けられなかったのか。
そもそも戦争を始めなければ・・・というのは、もちろんそうなのだけれども、広島、長崎の原爆、各地の空襲、民間人を巻き込んでしまう前に、どうして戦争を止めることが出来なかったのだろう。

8月6日は、仕事がまだずいぶん残っていたけれども、早めに帰宅した。
娘と「ヒロシマ」について話そうと思ったからだ。

ところが・・・。帰宅するなり、娘に「パパ、『ちゃお』買ってきてくれた?」と言われた。
そういえば、この日の朝、娘が楽しみにしている月刊誌と部活に必要なスポーツドリンクを買ってくるように頼まれていた。
近所のコンビニに行って、『ちゃお』とポカリスエットを買った。ついでにパパのビールも。

散らかっている部屋を片付けるように言い、洗い物の手伝いをさせ、シャワーを浴びた。
パジャマに着替えて、ベッドルームに行くと、買ってきたばかりの漫画誌を読みたいというので、少しだけならと許可した。
「もうそろそろ漫画はやめなさい。ところで、今日は何の日か知っているかい」と話をはじめたのだけれども、間もなく寝息が聞こえた。眠ってしまったらしい。

「勝負は勝つためにやるものだ。勝つためにすることは何か。練習することだ」
「人より上手くなりたかったら、人より練習しなければならない」
パパは自分ができなかった勇ましいことを言ったりしているけれども、部活を通じて本当に学んでもらいたいことは、助け合う心だ。

話が横道に逸れたかな。

少し前にフィリピンの貧民街で暮らしている少女のレポートを娘と二人で観た。
少女は朝から晩までゴミの山の中にいて、売り物になるものを探している。
病気の母と弟をそれで養っているのだ。
朝から晩まで働いて、食事にありつけるのは、3日に一度。それも小麦粉を溶かして焼いただけの粗末な食事だ。
娘は泣いていた。

知ることは愛することだ。

今年はヒロシマについて、娘と話すことはできなかった。けれども、いずれ話さなければならない。
パパはそれを義務だと思っている。

ところで・・・。
8月6日8時15分。
民放各局はどんな放送をしていただろう。
私は知らない。
NHKは平和祈念式典の中継をやっていたはずだから、黙祷しただろう。
民放はワイドショーの時間帯だ。
その時間に下品に笑っているコメンテーターはいなかったと思いたい。

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2008年8月 5日 (火)

娘の沖縄旅行~ハブとマングース

義父、義母と沖縄に出かけていた娘が帰ってきた。

ミニバスをはじめた春以来、娘の生活はミニバス中心になっていた。
はじめたばかりのころは、どんなに疲れていても、初めて経験することが嬉しくてたまらないという様子だったけれども、最近「疲れた」とこぼすようになっていた。
身体は鍛えられているというより、やつれていて、どんな練習をしているのだろうかとパパは心配していた。

沖縄から帰ってきた娘の身体は、少しふっくらとして、ひと回り大きくなったように見えた。
安心した。いい気分転換になったのだろう。
自分からやりたいと言ってはじめたことだから、辞めたいと言っても、父親としては、簡単にそれを認めるわけにいかない。
沖縄旅行は、彼女に勇気と元気をくれることになったと思う。

沖縄旅行のパパとママへのお土産は、ハブとマングースの携帯ホルダー。
パパはマングースで、ママはハブ。
娘はすぐに携帯電話に装着することを要求した。
パパは素直に従った。

「ハブとマングースだったら、どっちが強いんだろう?」
「マングースが強い」
「パパの方が強いから、マングースなの?」
「そう」

娘の認識は少し違っているかもしれない。
いつもパパの方が強いと思ったら、大間違いだ。

マングースはハブの天敵だ。
マングースはハブを駆除するために導入された外来動物なのに、ハブを獲らずに、天然記念物の鳥やうさぎを獲った。
鳥やうさぎは元々ハブが天敵だったから、ハブに対する備えは出来ていたけれども、マングースに対する備えは出来ていなかった。
マングースにしてみれば、蛇よりも鳥やうさぎの方が旨いし、簡単に獲れるので、わざわざハブを獲る必要はない。
結局、マングースは、ヒエラルキーのトップにある人間に駆除されることになった。
役に立つと思っていたのに、役に立たないどころか、害の方が大きいのだから当然かもしれない。

そんな話を娘にしたら、娘はそんなことは知っていると言った。
沖縄で聞いてきたのだろう、パパより詳しい話をしてくれた。

だったら、なぜ、パパがマングースなんだろう。
パパは役に立たない外来生物として、いずれ駆除されてしまうのだろうか。

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2008年7月 5日 (土)

娘の悩み。パパの悩み。

検査のため会社を休み、病院へ行った。病院の帰りに少しだけ仕事をして、早々に帰宅した。
前夜から食事制限があり、まともなものを口にできなかったせいか、朝から茄子漬、枝豆、鯵のたたき、ビールが頭を支配していた。
それならばと、カミさんの帰宅を待って、近所の居酒屋に出かけた。

居酒屋という雰囲気がそうさせるのだろうか。娘がこれまではしたことのない話をはじめた。
ミニバスで決められた練習をするのに、技術力が優れた上級生が自分よりも早くその練習を終えるのは当然だけれども、技術力が同等かむしろ劣っているA子ちゃんやB子ちゃんが自分よりかなり早く練習を終えるのは、数を誤魔化しているとしか考えられないと言うのだ。

「練習は自分のためにするものだから、他人のことに構うことはないではないか。A子ちゃんやB子ちゃんは上手くなれないよ」とママ。
「自業自得だとは思うけれども・・・」
おや、難しい言葉を知っているなと思いながら、パパは生ビールをごくり。
チームとして、マイナスになるのではないかということを娘は言いたいのかもしれない。

「それだけではなくて、A子ちゃんは、練習に使う道具を隠したりする。数を誤魔化すのは、自業自得かもしれないけれど、練習に使う道具を隠したりすると、みんなの練習の時間が減ってしまう。それは許せない」
「A子ちゃんは、どうしてそんなことをするんだろうね」
「きっと練習をするのがイヤなんだと思う」
「いけないよって言って上げた?」
「そんなことしていないって言うから、どうしようもない。来週会議をするんだ」
会議か・・・とパパは生ビールをごくり。
パパはなかなか発言の機会を与えられない。

自分の子供のころのことを思い出してみる。
パパも4年生から野球をやっていたけれども、そんな経験はなかった。
自分の練習のことで精一杯だったから、他人のことまで考えることはなかった。チームメイトみんながそうだったと思う。
練習道具を隠したりする奴はいなかったし、仮にそんなことをする奴がいたら、「何を愚図愚図しているんだ!」と叱責されただろう。
男の子の世界は、力が支配する世界だから、ある意味単純で平和だ。ガキ大将がその腕力を背景にみんなを統率する。

「コーチとかマネージャーに相談したら?」
「言いつけるようなのはイヤなんだ」
子供には子供の世界がある。ここまでは自分たちだけで解決するという領域があるはずだ。パパもすぐに教師(この場合、教師ではないのだが)に言いつけるような奴は嫌いだ。

「どうでもいいんじゃないでしょうか」
パパが発言する。浮浪雲を気取ったつもりだった。
正面から受け止めていると、硬直してしまうときがある。そんなときは、ちょっと引いてみることも必要だ・・・と言いたかった。
「みんなに相談されているんだよ。どうでもいいなんて言えるわけがない」
もっともだ。ここはママに任せたほうが良さそうだ。

職場でもこの種の問題が起きることがある。
「あほか」と思う。「そんなことはどうでもいい」と思う。
「何のためにここに来ているのか。ここにいる目的は何だ」と切って捨ててきた。
それはもしかすると間違いだったのかもしれない。

娘とママの話は続いている。
「もう少し何か食べないか?」という提案は無視されたままだ。
パパはそれをいいことに3杯目のビールを注文した。
ママが咎めるような目つきでパパを見る。
蚊帳の外に置かれていることに抗議するように煙草も吸った。

娘の抱える問題に対して、パパはこれまで、いつだって解答を用意できた。
けれども娘の抱える問題は、いつのまにか重くなっていて、パパは話を聞いたやったり、一緒に悩むしかできなくなっている。
成長しているんだなという感慨よりも、遠くへ行ってしまうような寂しさがある。

それにしても・・・。
パパは今日、会社を休んで検査を受けた。
幸い大事なく、こうしてビールを飲んでいるけれども、結果如何では、それどころではなかったかもしれない。
なのに、誰も「どうだったの?」と聞いてくれないのは、どういうことなのだろう。

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2008年6月 5日 (木)

娘の運動会

運動会と言えば、秋だと思っていたけれども、娘の通う小学校の運動会はいつもこの時期だ。
聞くところによると、数週間のズレはあるようだけれども、近郊の小学校は概ねこの時期に運動会をやるらしい。
い つから運動会をこの時期にやることになったのだろう。古い世代にとっては、やっぱり東京オリンピックの開会式が行われた10月10日あたりに運動会をする のが、気持ちの上でおさまりがいいけれども、今や体育の日も10月の第2月曜日になったりしているから、そうした感覚はもう過去のものなのかもしれない。

娘 の通う小学校の運動会は、土曜日の予定だったが、雨で日曜日に順延になった。日曜日も雨になると、火曜日に順延される。平日に順延されれば、仕事を持って いるパパもママも観戦に行けない。娘もパパもママもじいちゃんもばあちゃんも何とか晴れてくれと祈るような気持ちだった。娘は3つもてるてる坊主を作り、 なかなか上がらない雨空を恨めしそうに見上げた。
夜半になっても雨は上がる気配がなく、パパは「明日はダメかなぁ」と嘆息した。

運動会の1ヶ月前くらいから、娘がする話は運動会のことが多くなった。
一緒に風呂に入ると、自分の所属する「青組」の応援歌を大きな声で練習する。
「今日、80メートル走で雄太郎に勝ったんだよ」
娘がとても嬉しそうに話した。
「そうか。すごいな」
同じ学校に通う従兄弟の雄太郎は、スポーツ万能である。それは周りの誰もが認めていて、娘もスポーツでは雄太郎に敵わないと思っていた。
「ミニバスをはじめたからだよ」
小学生のころは、ちょっとしたことで身体能力がぐんと上がる。娘はそれが素直に嬉しく、ミニバスが面白くて仕方がない。
「そうかもしれないな」
「運動会では雄太郎と同じ組で走るんだよ」
運動会では事前の記録で組み分けされて、遅いタイムの子から走ることになるらしい。娘は最終組で、学年チャンピオンを決める決勝レースということになる。聞くところによれば、他にもライバルがいて、娘は雄太郎と1、2着できれば最高だと話した。
「でも・・・雄太郎に勝てるかなぁ」
「一番練習した人が勝つんだよ。勝ちたかったら、練習するしかない」
「そうかぁ」
アメリカの著名なバスケットボールのコーチが言っていた。「勝ちたいという意欲は誰にでもある。重要なのは勝つために準備する意欲だ」
パパは準備する意欲が希薄だったから、何をやっても中途半端だったけれども、努力家のママの血を半分引いている娘はどういうことになるだろう。

日曜日の朝。ベッドルームにこぼれる強い日差しと娘の声で目が覚めた。どうやら晴れたらしい。
「パパ、起きて、朝ごはんだよ。今日は運動会だよ」
「晴れたねー。てるてる坊主が効いたなー」
娘は嬉しそうにうなづいた。

パパ、ママ、2組のじいちゃん、ばあちゃん、叔父さん夫婦と従兄弟2人、雄太郎のママとばあちゃん・・・総勢12人の大応援団が80メートル走のゴール付近に陣取った。
陽射しはジリジリするくらい強くなってきたけれど、少し強めの薫風がグラウンドを渡って心地いい。菓子や飲み物を揃えて、ピクニックに出かけたようなにぎやかさだ。

80メートル走は最初のプログラム。パパたちのビデオカメラにみつめられて、歓声の中、レースが進む。いよいよ最終組。
レンズの中の娘はやる気満々で少し緊張しているようだった。
「あんまり堅くならないで、思い切り腕を振って走るんだ」
レンズの中の娘に語りかける。
「パーン」
ピストルの乾いた音が鳴って、娘はフライング気味にスタートした。
先頭。
「いいぞ」
ところが、雄太郎は中盤で加速すると、ぐんぐんとスピードを上げた。
その走りにはまったく気負いがなく、天性のもので、余裕の表情でゴールを走り抜けた。
「ディープインパクトだ」
競馬好きの弟が笑った。
終盤、勝敗が決したように見えた後、娘はつっかえ棒が外れたように失速し、4位に終わった。

娘の席まで行って、話しかけた。
「何等賞だった?」
「敢闘賞だった」
さばさばとした表情で娘は答えた。
「最後の方で力を抜いただろう。あれは良くないな。最後まであきらめないで走らなけりゃダメだ。結果よりもそういうことが何倍も大事なんだ」
「うん、そうだね」
「ちゃんとした走り方をすれば、まだまだ早く走れるよ。腿を上げて、腕を強く振るんだ。パパが今度教えてあげるからな」
やっぱり敵わないとあきらめたらそこでおしまいだ。中途半端に頭がいいとそういうことになってしまいがちだ。来年もやっぱり雄太郎には敵わないかもしれない、男女の身体能力の違いがあるから、差はさらに広がるかもしれない。けれどもあきらめることはしてほしくなかった。

その後のアトラクションレースで、娘は1等賞になり、娘と雄太郎の所属していた「青組」は、総合優勝した。
運動会後のミニバスの練習に参加し、夕方遅くに娘は帰ってきた。
玄関のドアが開く音がして、バタバタとリビングに駆け込んでくる。
Vサインをして、満面の笑顔だ。
「応援賞もとったから、W優勝なんだよ」
「すごいなー」

娘が味わったちょっとした挫折感、それから仲間たちみんなで勝ち取った優勝の喜び。いろんなことを経験しながら、成長していくんだなとしみじみと思った。
「今日は寿司でも喰いに行くか」
娘の笑顔がパパは何よりも嬉しかった。

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2008年5月11日 (日)

娘の行く道

10歳になる娘がミニバスを始めて、もう2ヶ月近くになる。
娘の所属するチームは指導者がとても熱心にやってくれていて、土曜日にも練習がある。
熱心に指導してくれるコーチには頭が下がる思いだけれども、「娘のいない休日」に戸惑っているパパとしては、正直、休日まで練習することはないんじゃないかなどと思ったりしているところなのだけれども、5月3日、4日に大会があるという。
ゴールデンウィークも部活漬けなのか・・・。寂しい気持ちになった。

娘がまだよちよち歩きのころから、ゴールデンウィークは、ママの妹が住む千葉に行くのが恒例になっていた。従兄弟と一緒に遊園地に行ったり、動物園に行ったり、お買い物に行ったり、おいしいものを食べたり・・・、娘も従兄弟もとても楽しみにしていた時間だった。
大会に出場するのは、5年生、6年生が中心で、はじめたばかりの娘に出番はないはずだ。パパは密かに大会を休んで千葉に出かけてもいいのかなと思っていた。
ところが、娘は一度も大会を休むと言い出さなかった。千葉に行けないことを残念がるフシもなかった。大会当日、ママに弁当を作ってもらって、自分で水筒にお茶を詰めて、当たり前のように出かけていった。

「行ってきまーす」
小さな身体に不釣合いな大きなバッグをぶら下げて出かけていく娘を、パパは寝起きのボサボサ頭のままで外へ出て見送った。
「もう自分の決めた道を歩き始めているんだねぇ」
一緒に見送りに出たばあちゃんが娘の後姿を見ながら、頼もしそうに、少し寂しそうにつぶやいた。

娘の通う小学校は、自宅の並びで、校門もミニバスの練習をやっている体育館の入り口も見通せるほどの距離にある。
ちょっと前にやっぱり同じように見送りに出たとき、娘は振り返り振り返りして、見送っているパパの姿を確認しながら、体育館の入り口まで行った。
そしてそこで大きく手を振って、体育館に入っていった。
娘の、新しい世界に飛び込んでいく不安を感じて、パパはちょっと切ない気持ちになった。

だけど、今日の娘は一度も振り返らずに体育館の入り口まで行き、その付近で会ったチームメイトとハイタッチなどしている。
チームに溶け込めているのだなという安堵感と、娘が遠くへ行ってしまったような寂しさを感じながら、リビングに戻り、読みかけの本を開いたけれども、娘の後姿が妙に頭に残って、なかなか本の世界に入っていけなかった。

出かける前の娘との会話。
「試合は何時からなの?」
「最初の試合は10時半から、次の試合は3時から」
「相手のチームは強いのかな?」
「去年優勝しているチームだから強いと思う」
「勝てるかな?」
「勝てるよ」
娘は出かける準備をする手を休めずに、パパの問いかけに面倒くさそうに答える。
「試合を観に来て欲しい」となかなか言わないので、根負けして、こちらから水を向けた。
「試合を観に行ってもいいかな?」
「別にいいけど・・・」
言葉ではそう言っているけれども、観に来て欲しくないという態度だった。

逡巡した結果、ママと一緒に試合を観に行った。
ユニフォームを着た選手たちとその父兄、大会関係者でごった返す体育館のホールを抜けて、観覧席に上がると娘のチームがコートでアップをしていた。
娘の姿を探していると、背後から声をかけられた。取引先のKさんだった。
「どうしたんですか?こんなところで会うとは思わなかったなぁ」
Kさんとは、仕事上の付き合いと言うよりもむしろ飲み友達で、会うのは主に酒場であり、「こんなところで・・・」という感想はお互い様だ。
「娘がこの春からミニバスをはじめてね」
「次の試合ですか?」
「そうなんだ」
「どこにいるんですか?」
娘を探す。
「あ、あそこにいた。左から2番目・・・」
「何年生?」
「4年生」
「大きいな~。エース候補だね」
4月生まれの娘は、4年生としては大きな部類に入る。
バスケットボールの世界では、1に身長、2にスピード、3に頭と言われているそうだ。大きいことは圧倒的に有利らしい。
Kさんは6年生になる息子がミニバスをやっていて、口ぶりから察すると相当入れ込んでいる様子だ。
本人も学生時代からバスケットボールをやっていて、今も現役だと胸を張った。
酒場では見せたことのない顔だった。

小学生のバスケットボールは、想像していたよりもレベルが高かった。
け れども、上手い子とそれほどでもない子の力の差は歴然としていて、力のない子はフリーになってもパスをもらえない。力のある子は無理を承知でドリブルで切 り込んでいく。コートにいるのは5人だけれども、実際は2~3人で試合をしているような感じだ。力がない子はないなりにゲームに参加できるような組み立て はできないものなのかと思った。

試合中、娘はずっとベンチにいたけれども、試合に出ることはなかった。
インターバルになると、先輩に飲料を渡したり、タオルで風を送ったりしている。

人は自我の塊として生まれてくる。
気に入らなければ、泣き喚き、自分の要求を満足させようとする。
けれども、成長するに従って、周りのことにも気を配るようになる。
他人のために、チームのために、何とか役に立とうとしている娘の姿をパパは感慨を持って見ていた。

娘のチームは惜敗した。
学生時代、バスケットボール部のキャプテンをやっていたママは、「勝てる試合を落とした」と悔しがった。
試合が終わって、引き上げてきた娘と観覧席の階段のところですれ違った。
娘はパパの姿を認めて、お愛想で合図をしたけれども、それ以上は、迷惑だといわんばかりの態度だった。

娘のチームは、その後の試合で勝って、結果的には3位だったらしい。
賞状を持って、帰ってきた娘は、「優勝できたのに残念だ」と悔しさをにじませた。

パパは娘のために、風呂を用意しておいた。娘と風呂の中で試合の話をした。
「上手くなりたかったら、人よりも練習するしかないんだ」というようなパパの話を娘は神妙な面持ちで聞いている。
風呂から上がって、しばらくテレビを観ていたけれども、疲れていたのだろう、いつもより早くベッドに入ると言い出した。
娘はもう4年生になるけれど、まだ一人で寝ることができない。眠くなるとパパかママを指名して、ベッドルームへ行く。
パパはベッドで本を読んでやるので、人気が高い。娘は落語をねだった。
NHKの朝のテレビ小説「ちりとてちん」で有名になった「愛宕山」を読んでやる。
「野辺へ出てまいりますと、春先のことで・・・」
テレビでも繰り返し使われたフレーズのところにくると、それを暗記している娘は、パパの声に自分の声を重ねる。
「やかましゅう言って参ります。その道中の陽気なこと・・・」
パパは、気の合った仲間たちと一緒に、にぎやかに、楽しく生きて行きたいと願った。
娘はこの先、自分の生き方をどのようにして決め、何を願うのだろう。
パパが娘の人生に深く介入する時期はもう過ぎているようだから、見守るしかない。

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2008年3月20日 (木)

クラブ活動をはじめる~娘のいない休日

4月から娘は4年生になる。
4年生になると、学童保育には行けなくなるけれども、クラブ活動に参加できるようになる。
参加するのかしない のか、するとしたら何をするのか、しばらく逡巡していたようだったが、結局、仲の良い子に誘われてミニバスに入ることにしたようだ。今月のはじめに友だち と見学に行って、「面白そうだから」と入部を決めてきた。母親には相談したらしいが、父親には結果だけが伝えられた。

ミニバスとは、ミニバスケットボールのこと。通常のバスケットボールよりもコートが狭く、ボールが小さい。リングの高さも45cm低い。3ポイントシュートがないなど、ルールの違いもある。

正式な入部はまだだけれども、もう練習に参加しているというので、仕事で外に出たついでにのぞいてみた。

体育館の入り口に立って、練習を見ていると、娘がすぐに気がついて、手を振った。
娘の練習を見ながら、自分の小学校4年生のころを思い出していた。

私 の時代に「ミニバス」というものはなく、「ポートボール」というものがあった。スポーツのできる男の子はだいたい野球部に入るという時代だったけれども、 私のクラスの私よりもスポーツができる子の何人かは「ポートボール」に行った。それでも野球部の競争率は高く、選抜試験が行われた。選抜試験を通って、野 球部の帽子をかぶることができた晴れがましい気持ちは今でも忘れることができない。
娘がそのころの自分と同じ年代になったのだと思うと、娘の成長と言うよりも、自分の過ごしてきた時間への感慨がある。

休日にクラブ活動に必要なものを買いに出かけた。
シューズ、ソックス、トレーニングウェア、タオル、それらを入れる身体の大きさほどもあるバッグ。
友 だちが持っているものはどんなものだったか、同じものがいいのか、違うものがいいのか、自分の好みに照らすとどうなのか、ひとつひとつ丁寧に検討し、決め ていく。母親は学生時代にバスケットボールの経験があるので、母親の意見は少しだけ聞くけれども、父親の意見は聞いたフリだけして、参考にしない。買う気 もないゴルフクラブの売場をうろついたりして、拗ねて見せた。

次の休日は初めての県外遠征ということだった。試合に出るわけではないけれど、見学に行くのだという。前の日からそれはそれは楽しみにしていて、5時集合だから、4時には起こしてくれるように、何度も何度も母親に念を押した。
母親と4時に起きて、一緒に弁当を作り、大きなバックを担いで意気揚々と出かけていった・・・らしい。遅くまで仕事をしていた父親は眠っていた。かすかに「行ってきまーす」という元気な声を聞いたような記憶が残っていた。

午近くになって起きてくると、書置きがあった。娘は無事出かけ、母親はパーマ屋にいったらしい。娘の帰りは19時ころ、母親はその前に帰宅するとのことだった。

娘が生まれて以来、休日は娘のものだった。平日は帰りの遅いことが多いので、罪滅ぼしの気持ちもあった。
娘のいない休日というのは久しぶりだった。

結婚する前、休日は映画を観て過ごすことが多かったけれども、娘が生まれてから、劇場で映画を観ることはほとんどなくなっていた。

降っ て湧いたひとりきりの休日を持て余したような気持ちになったが、まず頭に浮かんだのは映画だった。以前であれば、今、どんな映画がどこでかかっているかを 熟知していて、優先順位がついていたから、迷うようなことはなかったけれども、今日はまずどんな映画がかかっているのかということを調べなければならな かった。ウェブサイトでチェックしたが、食指の動く映画がない。
いつまでたっても動き出そうとしない気持ちと身体で、録画していた番組をいくつかチェックした。

結局、この休日に買おうと決めていたコーヒーメーカーを物色に出かけ、電器店と雑貨屋をいくつか回り、保温ポットのついたコーヒーメーカーを買った。コー ヒーメーカーを買ったら、豆も買わなければならない。その場で焙煎してくれる店でちょっと贅沢な豆を買った。それから・・・、ビールを買った。

帰宅して、風呂の掃除をした。娘が疲れて帰ってくるだろうと思ったからだ。
風呂の支度をして、娘の帰りを待った。待ちきれなくなって、風呂に入り、ビールを飲んだ。
2本目のビールを開けたころ、娘が帰ってきた。
「ただいまー」玄関で弾むような声がする。
玄関に飛び出して行きたい気持ちを抑えて、寝たふりをする。
「あー、パパ寝たふりしてる。ビール飲んでるの?」
バレバレだ。
「お帰り。楽しかった?」
「楽しかった!」
娘は話したいことがたくさんあるのだけれども、どう表現していいのか分からない様子で、言葉を捜して身震いをする。
「まず、ママとお風呂に入ってきなさい」
「はーい」

風呂場から、饒舌な娘の声と母親の相槌が聞こえる。
どんなに素晴らしい映画を観た後よりも幸せな気分だった。

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2008年3月 6日 (木)

娘とスキーに行く

娘にせがまれてスキーに行った。
娘にとっては、2年ぶり2回目のスキーだ。
昨年は平野部では雪がほとんど降らなかったので、「行きたい」とは、あまり言わなかったが、今年は早くから雪が降ったこともあって、年明けごろから盛んに「行きたい」と言うようになった。
聞き分けのいい子で、あまり駄々をこねない。それがいじらしくなるときがある。
今年は連れて行ってやろうと思っていた。

週末に何かと用事があって、愚図愚図しているうちに2月も終わりになった。このころになると、寒さの間に、突然春の訪れを感じさせるような陽気になる日がある。そんな日があると「早くしないとシーズンが終わってしまう」と気が急いてくる。
娘は娘で友だちから「スキーに行ってきた」なんて話を聞くたびに、「約束したけど、パパは本当に連れて行ってくれるのだろうか」と不安になっていたようだ。

我が家は共働きで、どちらも帰宅が遅くなるのが当たり前の業界にいる。普段は17時になると私の母が娘を児童保育の施設に迎えに行ってくれて、夕食を食べ させてくれている。恵まれていると思う。それでもどちらかが遅くても20時までには帰って、一緒に風呂に入り、今日の出来事を話し合い、一緒に床に就くよ うにしようと妻と申し合わせた。
そうした形で親が必要とされる時期はあまり長くはない。いずれ煙たがられるようになるのだから、そのときが来るまで、そういう関係を楽しもうと思っている。
そういう思いは父親の方が強いかもしれない。父親は娘との関係がある時点から劇的に変わってしまうことを知っている。一方、母親と娘の関係は娘が成長しても変わらない部分があるから、娘の成長に母親はあまり焦りを感じない。父親はそんな母親の無頓着な態度が気に入らない。

私はコンピュータとインターネット環境があれば仕事が出来るので、20時前にいそいそと帰る。
玄関の鍵を開けると、娘が「パパー」と言いながら駆け寄ってくる。至福のときだ。
娘と風呂に入り、話をする。ベッドに入って、本を読んでやり、寝息を立て始めた娘の横顔をしばらく眺め、仕事に戻る。

いつものようにベッドで本を読んでやって、話をしていると、「○○ちゃんは、今度の土曜日にスキーに行くって言ってた・・・いいなぁ」と遠まわしに、「早くスキーに連れて行ってくれ」と要求した。
次の週末はすでに予定が入っていたけれども、動かせないことはない。次の次の週末は動かせない予定が入っている。次の次の次ではもう遅すぎるかもしれな い。次の週末に行こうと、このとき心に決めたけれども、口にはしなかった。がっかりさせたくなかったので、見通しを立ててから約束しようと思った。

「今度の日曜日、スキーに行くぞ」
3月2日にわかぶな高原スキー場に行くことにした。

最寄ではない「わかぶな」にしたのは、スキーとウェアのレンタル料金がよそに比べて破格に安かったことと、当日子供のリフト券が無料になることを教えてくれた人がいたからだった。

前日、スポーツ用品店に行き、アンダーウェア、グローブ、帽子、ゴーグルなどを買い込んだ。女の子は身に着けるものの好みがはっきりしている。気に入ったものを見つけるまで粘り強くチェックするし、気に入ったものを見つけると譲らない。

甥っ子も明日スキーに行くって言ってたというので、電話をしてみると、果たして同じスキー場に行く予定であることが分かった。彼らはもう今シーズン4回目だそうだ。
こちらはゆっくり起きて、昼ころまでに着けばいいやと思っていたけれども、甥っ子たちは朝一番に出かけるという。こちらも出発を早めることにした。

当日は10時に着いた。
滑れるけど曲がれないママは今回は見学することにした。
二 人で準備をすると、いきなりリフトに乗った。一昨年スキーに行ったときは、ちびっこゲレンデで、エスカレータのようなものに乗ったから、娘はリフト初体験 だった。けれどもつべこべ言う前に行列に加わり、あっという間に順番が来てしまったので、見よう見まねでやるしかないところに追い込まれた。
「パパ、どうすればいいの?」
娘の声は少し震えている。
「いいか、まず、あの線のところまで行くんだ。それから、係の人が合図してくれるから、次の線まで進む。そうすると後ろからリフトが来るから、腰掛ける。前の人がやるのを良く見てるんだぞ」
娘の顔が緊張で強張る。
順番が来た。
「よし、行くぞ。待って。よし今だ」
あっけないくらいにうまくいった。
リフトがぐーんとスピードを上げると、娘が晴れやかな笑顔を見せる。
「パパ、怖くない?」
高所恐怖症の父親を気遣う余裕も出てきたころ、終点が近づき、娘の緊張感はまた高まる。
「線が引いてあるから、そこに来たら立つんだ。いいな」
返事をする余裕もない。
リフトは一旦スピードを落とす。そこで待ちきれなくなった娘が立ってしまった。
「あ、早い」
娘が転倒し、リフトが止まる。係の人が駆けつけてくる。
「転んじゃった」
「もっと、落ち着いてやればいいんだよ。最初は誰でもそんなものだ。次は出来るな」
「うん」

ゲレンデに立つと、傾斜はきつく見える。
「パパ、どうするの?」
「前に来たときに、板をハの字にするのは教えたな。あのときは上手に出来たもんな」
「分からない。出来ないよ」
「怖がっていたら、出来ない。勇気を持って滑ってごらん。なんとかなるから。じゃ、パパの後ろに付いてきてごらん。まず、あの木の所まで行くぞ」
先に立って行こうとすると、娘が悲鳴に近い声を上げる。
「パパ!先に行っちゃ嫌だ!! 次から一人で滑るから、最初はパパと一緒に滑る」
無理もないかと思いなおし、娘の身体を挟み込むようにして、ボーゲンでゆっくり滑る。少しスピードが出ると、怖がって身体を縮めるので、その度に転倒してしまう。
「転んだときは、まずスキーを谷側にして、斜面に対して平行に・・・」と教えていると、甥っ子が通りかかった。
「あ、みみだ。なんだ転んでるの」
運動神経抜群で、シーズン4回目の甥っ子が馬鹿にしたような声をかけて、すーっと滑っていく。それが少し気に障ったらしい。
「ふもとまであと少しだ。大丈夫、黙っていても止まるから。一人で滑ってみるか」と聞くと、素直にうなづく。
意を決して滑り始めると、頼りないボーゲンだけど、なんとかふもとの乗り場まで転ばずに滑ることが出来た。恐怖、緊張から解放されて、嬉しさがこみ上げてきたのだろう。振り返って手を振っている。
初めて自転車に乗れたときと同じくらいに感動的なシーンだった。ビデオを持ってこなかったことを悔やんだ。携帯電話もバッテリーが切れかかっていた。どうして出てくる前に充電しなかったのだろう。

2回目からのリフトはうまくいった。傾斜の緩い林間コースを選んで何本か滑ると、もう楽しくて仕方がないという様子でどんどん先へ行ってしまう。途中甥っ子と合流すると、競うように滑っていく。いくつか違うコースも滑ってみた。
このころから、パパの膝は悲鳴を上げていた。何度か「休憩しよう」と言うのだが、「じゃあ、ひとりで行く、パパは休んでて」などと言うから、仕方なく付いていく。
結局、昼食を摂るために30分くらい休んだだけで、リフトが止まる直前まで滑った。リフトから降りたところで震えていたのが嘘のように、目覚しい進歩だった。

帰りには、おじいちゃんの家に寄って、日帰り温泉に行って、それから中華料理を食べた。その間中、彼女は能弁だった。
ベッドに入ると間もなく寝息が聞こえた。疲れたのだろう。
娘の寝顔に「楽しかったな。良かったね」と声をかけた。
パパもママも大満足な一日だった。

翌日、パパはひどい膝の痛みと筋肉痛で動けなくなった。
医者に行くと、加齢による変形性膝関節症という見立てで、ヒルアロン酸注射を打たれた。

せっかく自信を持てたから、出来れば今シーズン中にもう一度行ければいいなと思うけれど、パパの膝がそれを許さないかもしれない。

来年はもっとたくさんスキーに行こうな。それまでにパパはもっと身体を鍛えておくから。

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2008年2月11日 (月)

娘と過ごす時間

久しぶりに娘とプールに行った。
メタボリック親父としては、自分のためにもなるから、重い身体と気持ちを揺り動かして、ちょっと無理をするような気持ちで出かけることにする。
娘がスイミングスクールに行き始めてから、1年、いやそれ以上が経つ。
娘は少し前まで、幼児用プールで溺れているのか泳いでいるのか分からなかったけれども、クロール、背泳ぎ、平泳ぎを一応こなすようになった。
来週の試験は平泳ぎ。美しく25メートル泳ぐことができれば、飛び級でふたつ上のクラスに上がれるのだという。平泳ぎを教えてくれと言う。
正式に平泳ぎを習ったことはないけれども、パパの平泳ぎは娘のそれの数倍のスピードが出る。当たり前といえば当たり前だ。
体系的な知識がないから、泳いで見せるから、見ていろということになる。
じっと見ていた娘の質問は意外だった。足首の角度はこれでいいのかとか言う。
いや、足首の角度なんてどうでもいいんだ。要はまず浮くこと。身体が立ったら浮かないし、前に進まない。あとは腕の動きと足の動きのバランスだとパパは力説するのだが、パパの泳ぎは習っているのと違うと言う。
そう言われると、なんともしようがない。パパのは我流だから、先生に教わったとおりにやればいい。先生に教わったとおりに、とにかく距離を泳げばいい。練習は決して裏切らないからとアドバイスするけれども不満そうだ。
プールサイドにいる職員に声をかける。
まず、パパの泳ぎを見てもらう。
「どうだ!?」
「お上手ですね」
「私の平泳ぎは正しいのでしょうか?」
「えっ?」
「娘は、私の平泳ぎはスイミングで習っているのと違うと言うのですけど・・・。足首の角度が違うという話なのですけど」
「私も正式に平泳ぎは習ったことがありません。専門の者を呼んできましょうか」
「そうしてくれ」
現れた「専門の人」は、いかにもという服装、体型で期待を持たせたのだけれども、「うーん、お父さんのでいいんじゃないですか。けっこう早いし、いいセン行っているんじゃないですか」などと言う。
競技者じゃないんだから、そこまで気にする必要はないのではないかというのが、専門の人の意見だった。パパもまったくその通りだと思う。
娘を背中に乗せて25メートルを泳ぐ。
小学3年生にしては体格のいい娘を背中に乗せて泳ぐのは、簡単なことではない。重さで沈むから息継ぎができなくなる。
息も絶え絶えのパパに娘は半分笑いながら、「パパすごい」と言ってくれる。
我流であっても娘を背中に乗せて25メートル泳げるかどうかということは、世界一早く泳ぐことよりも重要なことだ。
娘にもそれが分かった・・・かもしれない。
それから娘の練習に付き合って、パパは1キロ近く泳いだり歩いたりした。
帰り道。パパは筋肉痛で、車のハンドルがまともに扱えなかった。

小学校3年生になってから、娘は休日を友達と過ごすことが多くなった。
そのうち、パパが家にいるときは、自分の部屋にこもるようになるだろう。
だんだん疎まれるようになることは分かっている。
成長の証だとは言え、寂しい思いをすることになるのだ。
そして、いつか、どこの馬の骨とも分からん奴がなれなれしく「お父さん」などと言ってくるのだ。オレは知らんぞ。とても耐えられない。

今、娘にとってパパは、ちょっと怖いけど、唯一無二の存在だ。
こんなときがもうじき終わってしまうのかと思うと・・・寂しい。

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2007年12月24日 (月)

サンタさん

数日前のこと。
娘が戸惑ったような顔をして聞いてきた。
「ナオがサンタさんはいないって言うのだけど・・・」

子供の成長に伴って、こうした問題に直面する。
どう対処するか、悩ましいところではあるけれど、先人が素晴らしい回答を用意してくれている。

ニュー ヨーク在住の少女ヴァージニア・オハンロンの「サンタクロースは本当にいるの?」という質問に対して、『ザ・サン』の記者・フランシス・ファーセルス・ チャーチは、"Yes, Virginia, there is a Santa Claus(ヴァージニア、サンタはいるよ)"という社説を書いた。1897年のことだそうだ。
http://www.alz.jp/221b/aozora/there_is_a_santa_claus.zip

「サンタさんがいると思えば、いる。いないと思えば、いない。信じている限り、みみのところにサンタさんはやってくるよ」
そう言って、娘の顔をのぞき込む。
娘の表情がパッと明るくなった。

娘のところには、1日早くサンタさんがやってきた。
娘はサンタさんにもらったアクアビーズアート カラフルデザイナーセットで早速遊び始めた。

「パパのところにサンタさんは来ないの?」
「サンタさんは子供のところにしか来ないよ」
「パパはサンタさんを信じていないの?」
「信じているさ、だけどサンタさんは大人のところには来ないんだ」
「パパのところには、いくつまでサンタさんが来たの?」
「う~ん、ちょっと覚えていないなぁ」

だんだん雲行きが怪しくなってくる。

娘の心の中にサンタさんがいる限り、私の心の中にもサンタさんがいてくれる。
それはとても豊かなことなのだと思う。
少しでも長い間、娘と私の心の中にサンタさんがいてくれればいいなと思う。

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2007年10月19日 (金)

娘の寝顔

落語の定番を子供向けに設定を微妙に変えて読み物にした本がある。
シリーズになっていて、最初の1冊を買ってから、娘がねだるので、次々と都合4冊買った。

寝る前に本を読んでやるのが習慣になっている。
「何がいい?」と訊くと、最近は落語本を指定される。

「千早ふる」とか「道灌」とかを読んでやる。
パパは読むというより、演じる。

「なんか違う」と娘が言う。

買ってきた本は読み物なので、それをそのまま読むと、情況を説明する文章が出てくる。
落語家はそれを表情やしぐさや間で表現する。
登場人物を声色で切り分けることもパパはできない。

「落語家ってすごいね」と言うと、「パパもすごいよ」と慰めてくれる。
パパは舞い上がって、ますます熱が入る。

下手なりに少しずつ上達してくるのが自分でも分かるから、パパの話はどんどん熱が入る。

サゲまで演じて、これはちょっと難しいな、意味が分かるかな、と思って、娘を見ると、寝息をたてている。

熱演が宙に浮いてしまった格好のパパはちょっとがっかりした。
けれども、娘の寝顔はそんな気分も包み込み、充足させるだけの力がある。

自分の息子の遺体をコンクリート詰めにする親がいる。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071019k0000m040017000c.html

何かが壊れている。人間は生き延びることができるのだろうか。

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2007年9月 6日 (木)

蟻の気持ち

夏休み前。娘が「蟻の巣観察キット」のようなものを買って欲しいというので、買った。
生き物を飼うという経験は、子供にとって、得がたいものを与えてくれると経験上知っていながら、娘にはこれまでその経験をさせていなかったから、蟻には失礼な話だが、入門編としていいのではないかという気持ちが働いた。

私は、まだ幼稚園に上がる前の一時期を家にいたコリー犬とシェパードと過ごしたこともあって、犬好きだ。当時、犬好きだった親父が犬をどこかからもらってきたのか買ってきたのか分からないけれど、一度に2頭も家に連れてきて、その世話をおふくろに押しつけた。おふくろとしては、まず、相談もなく犬を連れてきたことが気に入らない。さらにその犬たちが自分の産んだ子よりもエサを喰うことがもっと気に入らない。コリー犬は早々に里子に出され、私と仲の良かったシェパードもじきにいなくなった。シェパードがもらわれていった先は牛乳屋で、親父に言わせると、余った牛乳を飲まさせてもらえるから、食いはぐれがないということだった。
親父と一緒にその牛乳屋を訪ねたことがある。親父の職場の近くにあるその牛乳屋は、家から親父のオートバイに乗って、15分ほどのところだったが、小学校に上がる前の私にとっては、外国に行くように遠いところにあった。
「ザム!(犬の名前)」と私が呼ぶと、ザムは尻尾を振って、嬉しそうに駆け寄ってきた。
親父は犬を飼えないのをおふくろ所為にするようなことを言っていたけれど、自分は少しも面倒をみないのだから仕方がないと私は思っていた。ザムの餌代を自分で稼ぎ、ザムの面倒を自分でみることができたらどんなにいいだろうと思った。その力が今の自分にないことは、よく分かっていて、それがすごく悔しかった。牛乳屋の親父は「いつでも会いにくればいい」と言ってくれたけれども、私はもうザムには会えないだろうと思っていて、ザムにさようならを言った。それからしばらくして、ザムが死んだと聞いた。悲しい気持ちになったけれど、泣いたりはしなかった。どこか醒めたような気持ちもあった。

あれから40年も経つのに、おふくろは未だに犬を飼うことにアレルギー反応を示す。
働く時間が不規則な私が犬の面倒をみるのは無理があるし、娘はまだ子供だ。親父はリタイアして時間はあるが、病気をして身体が不自由だから、毎日は無理だろう。結局、おふくろが面倒を見なければならない、それは御免蒙るということだ。まったく犬に興味のないカミさんもおふくろの意見に同調して、最近は「犬を飼おう」などと間違っても言えない雰囲気がある。

「蟻の巣観察キット」を開け、説明書を読む。もっと簡単なのかと思ったのだけれど、なかなか面倒だ。薄っぺらいプラスチックの容器を組み立て、中に入れる青いゼリーのようなものを作る。これに結構手間がかかる。よく混ぜ合わせて、電子レンジにかけ、冷めてから容器に入れる。このゼリー状のものが土の代わりをし、餌にもなるようだ。
蟻を捕まえに行く。ゼリーを冷ましている間に庭に砂糖を置いておいた。砂糖に集まった蟻を一網打尽にしようという作戦だ。
20匹ほど捕まえて、容器の中に入れると、2時間ほどで巣を作り始めた。

数日もすると、狭い容器いっぱいに蟻の巣が広がった。
「すごいな。あっという間だ。蟻って働き者なんだなぁ」
怠け者のパパは感嘆の声を上げた。

毎年のことだけど、夏休みの終盤、娘はカミさんの実家に2週間近く出かけていく。
出かける前に、蟻の巣の空気を毎日入れ替えるように命じられた。餌をやる必要もないので、メンテナンスフリーなのかと思っていたのだが、容器の密封性が高く、空気を入れ替える必要があるらしい。
空気を入れ替えようと蓋を開けると、逃亡を試みる蟻がいて、油断がならない。蓋を開け、慌しく動き回る蟻の動向に注意を払いながら、蓋を開け閉めする。朝の忙しい時間にやる仕事としては、そう楽な仕事ではない。

夏休みも終わりに近づいたある日。娘が蟻の観察記録を書いたから、聞いてくれと言ってきた。
パパはそれを聞いて、「パパが空気の入れ替えをしたことが書いていない」と不満を言った。
「そうか、そうだ」娘は留守の間、パパが蟻の面倒を見てくれたことを観察記録に書き加えた。

娘と寝室に行き、寝る前のお話をしているときに、ふと思った。
「大変だ。観察記録に蟻の気持ちが書いていない」
「蟻の気持ち?」
娘は怪訝そうな顔をする。
「蟻は庭で暮らしていたんだよね。なのにある日突然捕まえられて、狭い容器に入れられた」
「けど、餌の中で暮らしているんだよ」
「餌があれば、それでいいってわけじゃない。あそこに入れられた蟻の中には、お父さん、お母さん、兄弟、おじいちゃん、おばあちゃん、従兄弟と離れ離れになってしまった蟻もいるかもしれないだろう」
娘は少し悲しそうな顔をして、考えるような表情になった。
しばらくして、「パパ、蟻さん、元の場所に帰してあげた方がいいかな」と言った。
「だって、パパやママと離れ離れになったら、かわいそうだもの。雄太郎とも遊べないよ」
涙声である。
泣いてしまうとは思わなかったので、パパは少し戸惑った。

「蟻は冬の間、どういうふうに過ごすか知っているかい?」
「知らない」
「パパも知らないんだ。蟻には申し訳ないけれど、もう少し蟻の生活を見せてもらおうか」
「いいのかな」
「謝らないとな、許してくれるかどうか分からないけど。その代わりちゃんと毎日面倒を見ること」

娘は毎日容器の空気を入れ替えている。なにやら蟻に話しかけているようだ。

犬を飼いたいなぁ。

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夏休みの終わり

カミさんの実家のある地域の夏祭りが終わると、夏も終わりだ。
陽射しが柔らかくなり、風向きが変わり、一気に涼しくなる。

カミさんの実家がある地域のお祭りは盛大で、地域の人のお祭りにかける思いは特別なものがある。
地域社会というものが希薄になった都市部で育った私には新鮮な感覚だ。

お盆過ぎから、すべては祭りのためにという一種のトランス状態になっているお義父さん、カミさんに今さらかける言葉はない。少しばかりの羨望の念を込めて、傍観している。

お盆の後半から、お祭りが終わる夏休み終盤まで、毎年娘はカミさんの実家に長逗留する。カミさんも一緒だから、パパは束の間の独身に戻って、羽を伸ばす。
同じように長逗留しているカミさんの双子の妹とその子供たちと過ごす毎日は、娘にとって格別に楽しい日々らしい。

夏休み最終日。
「宿題は終わったのか」と娘に聞くと、「あと少し」ということだった。
「宿題が終わったら、プールに連れて行ってやるぞ」と言うと、娘は鼻の穴を膨らませた。
「鉛筆の持ち方が悪い!」
カミさんから容赦のない叱責の言葉が飛んだ。

金で解決…親も子供も宿題丸投げ 代行業者が繁盛
 「読書感想文」から「自由研究」まで、夏休みの宿題を片づける「宿題代行業者」が登場し、賛否を呼んでいる。メールなどで届いた依頼に、アルバイトの学生らが有料で応える。多くの小中学校で夏休み最後となる今週末は“駆け込み客”が殺到しているというが、「家庭学習の習慣を身につけるという本来の趣旨に反している」と、教育関係者は批判的だ。
有名大学生らが登録
 インターネット上で宿題代行サイトを主宰するのは大阪市内の20代の男性。このサイトには東大や京大、阪大、関関同立など全国の有名大学生らが多数、登録している。
 算数の文章問題は1問500円、読書感想文は2万円で引き受けるほか、大学生のリポート(2万円~)や卒業論文(30万円程度)まで幅広く手がけている。
 そのほか、夏休みの宿題の定番である工作(5万円)や自由研究(2万円)なども請け負っており、これまで実際に「アリの研究」や「河川敷の水質調査」などを提供したという。
 依頼は主に親からで、「子供の宿題が期限に間に合わないから」という理由がほとんど。中には小学生本人から注文が来たこともあるという。メールやFAXで受けた依頼を、業者を介して登録学生に発注。高額バイトとして一部の学生に人気があり、中には月20万円以上稼ぐ学生もいるという。
夏休みは稼ぎ時
 夏休みには問い合わせが通常の約3倍になるといい、今年はこれまでに、小学生の夏休みの宿題だけで約40件の注文があったという。代行業者は「夏休みが終わる今週末は全国からの駆け込み客が増えている」と話す。
 こうした状況に文部科学省は「家庭学習の習慣を身につけるのが宿題の本来のねらい。その趣旨からも、宿題を丸投げするのはおかしい」。大阪府教育委員会も「宿題をお金で解決するという保護者の考えが気になる。それをビジネスにしてしまう業者もどうか。子供の成長を一番に考えればゆゆしき事態だ」と異議を唱える。
韓国でも問題化
 一方、代行業者は「読書感想文などは、あくまで参考用に渡しており、そのまま提出することは禁止している」というが、実際は目が届かないのが現状だ。 インターネット上では、ほかにも大学生の卒業論文を代行する業者が増えており、韓国では500サイト以上が乱立。すでに出来上がっている論文などを提供するサイトもあり、日本よりも一足早く問題になっているという。
 三重大学の奥村晴彦教授(情報教育)は「宿題や課題は結果より努力した跡が大切。お金で買ったものでは意味がない。保護者や業者も『何でも金で解決できる』という考え方を子供の心に植え付けるのは良くない」と話している。(産経新聞 2007/09/01 16:33)

まったく馬鹿げた世の中だ。
テレビでも同様の話題を取り上げていた。登場した宿題引き受け会社の若い社長は、バツが悪いという気持ちがあるのか、いろいろと言い訳をしていた。この人はまだまともな部類の人なんだなと思った。
教師がノイローゼになるほど、理不尽な要求をする父兄が増えているという。その行状をレポートした雑誌を読むと、子供の宿題を金で解決しようという親が現れても、何の不思議もないと思う。払えないわけでもない給食費を滞納するような親たちだもの。
じいさん、ばあさんは仕方がない。孫は盲目的に可愛いものらしいから。母親も、まあ仕方がないだろう。母親がきつすぎると、子供は拠り所を失ってしまう。父親は何をしているのだろう。

子供に社会規範を叩き込むのは、父親の役目だ。子供が泣こうが喚こうが、じいさん、ばあさんが何を言おうが、母親が甘い顔をしようが、父親が宿題はかっちり自分の力でやり遂げさせるべきだ。

娘はカミさんの実家に長逗留している間、お義母さん、義妹、カミさんのタッグによって、毎朝宿題をやることを義務づけられ、監視されていた。従兄弟も同様である。こうなると父親は出番がない。出番がない方がいいのかもしれないけれど、少し寂しいような気持ちになる。

宿題の終わった娘とプールに行った。
従兄弟たちに声をかけたが、いずれも夏休みの宿題でそれどころではないとの回答だった。

娘はついこの間、通っているスイミングスクールの昇級試験に合格したと喜んでいた。15メートル泳いだらしい。水泳帽に表示されるクラスがだんだん上がっていくことは、娘を誇らしい気持ちにさせてくれるようだ。
「次の試験では何メートル泳がなければならないのか」と訊くと25メートルらしい。娘は前に連れて行ったときに、25メートルを3回ほど泳ぎきっている。経験上25メートルを泳げるようになれば、体力の続く限り泳げるようになったというのと一緒だ。成長したなぁと思うと同時に、この技術を早く身体に染みこませて、自信をつけさせてやらなければと考えた。
「よし、今日は、プールを10往復。500メートル泳ぐぞ」と宣言して、プールに向かった。

「今日、プールは混んでいるかな?」
娘が訊いた。
「夏休み最後の日曜日だからなぁ、混んでいるだろう」
パパが答えると。
「夏休みの宿題が終わっていない人が多いから、きっと空いているよ」
娘が言った。
果たして、プールは少し前の盛況が嘘のようにガラガラだった。
パパは人の動きを予測するのが仕事なのに、まったく面目ないことだ。

娘は何度か25メートルに挑戦したが、どうしても20メートル付近で足を付いてしまう。
見ていると、息継ぎのときに頭を上げすぎるので、身体が立ってしまい、推進力が失われて、水を飲んでしまうらしい。
「頭を上げるんじゃなくて、顔を横に向けるんだよ。気持ち後ろ、足の方をを見るような感じだ」
パパは身振り手振りを加えて、一生懸命アドバイスをしてみるのだけれど、何度やっても25メートルを泳ぎきれない。
「おかしいなぁ、この前は泳げたのに」とパパが言うと。
「この前は、25メートル泳げなかったら、お寿司を食べさせてくれないって、パパが言うから、一生懸命頑張った」と娘が言う。
そうか、技術の問題ではなくて、モチベーション~根性の問題なのだとパパは得心して、こんなやり方はどうかと思ったけれども、泳ぎきるには仕方がないかと思い、モノで釣ることにした。
「NTTからもらったQUOカードが6,000円分ある。今日25メートル泳げたら、この後ジュンク堂に行って、好きな本を3,000円分買ってもいいよ」

娘はその後、25メートルを2回泳いだ。平泳ぎで併走していたパパは、20メートル付近で「もう少しだ。頑張れ!」と周りの人が驚くほど大きな声を出した。
パパの声援が効いたと思いたいところだが、パパの声が娘に聞こえていたかどうかは分からない。

本好きの娘はジュンク堂で結果的に3,000円以上の本を買って、その夜遅くまで本を読んでいた所為で、学校の始まる朝、寝坊をした。

経緯をカミさんに話をすると、カミさんはあきれたように長嘆息をついて、何も言わなかった。

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2007年8月17日 (金)

墓参

13日の夜に墓所に亡くなった人の霊を自宅の仏壇にお迎えする。
15日の午後、亡くなった方の霊は墓所に帰る。
うろ覚えだけど、そういうことだったと思う。

我が家には13日に合わせて兄弟が帰ってくる。
昔は13日の夜に提灯を下げて、先祖の霊を迎えに行ったものだが、最近は混雑する時間を避けて、早朝に墓参を済ませることが恒例になっている。
生きているものの都合を優先させているわけだ。
合理的でない規範は、こうして生きているものの都合で変えられていく。
それはそれで仕方がないと思うのだけど、何か悪いことをしているような、割り切れない思いが残るのは何故だろう。

仕事上、言葉で言い表わせないくらい世話になった人(Mさん)の墓所が妻の実家のそばにある。

15日の夜、妻の実家で義父と酒を飲んだ。
早い時間からはじめて、早い時間に潰れたので、早い時間に目が覚めた。

14日までにMさんの仏壇を参ることができなかったので、娘を誘って、Mさんの墓参に出かけた。
15日の午後に霊は墓所に帰って、16日は墓所にいるという理屈に則ってのことだ。

娘は最初乗り気がしない様子だったが、コンビニエンスストアに寄って、タバコを買ってから、墓地に行くと言ったら、やっぱり行くといい始めた。大甘のパパがコンビニで何かを買ってくれることを期待したのかもしれない。

Mさんの墓所は妻の実家から歩いて10分ほどのところにある。コンビニを経由しても、30分ほどの行程だ。

Mさんが入院中、娘を連れて見舞いに行ったことがある。
Mさんはたいそう喜んで、娘に「栗むいちゃいました」を袋ごとくれた。
娘はそれを短時間に食べてしまって、食べ終わると、「パパ、帰ろう」と言った。
栗は娘の好物だ。
Mさんはそれを聞いて、「食べてしまえば、もうここには用事はないものな」と言って、やせ細った身体を揺すって、驚くほど太い声で、朗らかに笑った。

Mさんの墓前に花を供えたことはない。供えるのは、いつもタバコとビールだ。
腸閉塞の手術と抗がん剤の治療でボロボロになっていたときに、「何か必要なものがありますか?買って来ますから」と言ったら、Mさんは息も絶え絶えの状態で、「現金」と言って笑った。

合理主義者を気取っていたけど、優しい人だった。

タバコはハイライト。ビールは、あれ?何が好きだったろう。
コンビニの棚の前で迷っていると、娘が「Mさんが飲んだことのないビールにしたら」と言った。
最近発売されたビールとハイライト。それと、普段は娘に禁止しているコーラを買った。
「いいの?」と訊く娘に、「たまにはいいよ。パパがいいと言ったときはね」と答えた。

墓所は祭りの後という風情だった。掃除を委託された業者が、前夜までに残された供物、灯篭を掃除していた。

「おはようございます」
掃除の業者が声をかけてきた。
新しい花を供えるようなら、古い花は今のうちに始末するから、そういう申し出だった。
「いや、花は持ってきてないから」

娘は能弁にMさんに語りかけた。
「Mさん、久しぶり。ビールを持ってきたよ、冷たいうちに飲んでね」
パパはタバコに火をつけ、しばし瞑目してMさんと会話した。
その時間、2~3分。娘はじっとパパの姿を見ていた。

持ってきたハイライトの封を切り、一本口にくわえて、火をつける。
それを線香代わりに供えて、もう一度、手を合わせる。

娘はパパと一緒に手を合わせ、「Mさんバイバイ。また来るからね」などと声をかけている。

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2007年8月 8日 (水)

娘の自己主張

こんなことがあった。数年前のことだ。

歯医者さんの予約時間まであと30分くらいのときに、娘の従兄弟が遊びに来た。

「雄太郎と遊んでもいい?」
「いいよ、けど、20分だけ。歯医者さんに行かなければならないから、遠くに行かないこと」
「はーい」

時間が来たので、声をかけると、返事がない。
外へ出てみたけれど、姿が見えない。

娘の名を呼びながら、近所を回ってみる。
みつからない。

心当たりに電話をしてみる。
空振り。

心にもくもくと黒雲がひろがってくる。
どうしたんだろう。

自転車に乗ってぐるりと近所を捜索する。
車に乗って、ちょっと遠くの友達の家、公園に行ってみる。
みつからない。

時計は読める。時計は持たせた。
親との約束を破ったことはない。
黒雲が心を覆い始める。
もしかして。

歯医者さんの予約時間を大幅に過ぎて、娘は叔母に付き添われて帰ってきた。
近所の叔母の家に行き、時間を忘れて遊んでしまったらしい。
約束の時間が過ぎていることに気づき、叔母に動向をお願いして帰ってきた。

パパは大きな声を出した。
付き添ってきた叔母も吃驚するような大きな声で、娘はビクッと身を縮めて、泣き出した。

こんなこともあった。

自転車に乗れるようになったばかりの娘と2人、自転車に乗って、日曜日の早朝サイクリングに出かけた。

♪サイクリング、サイクリング、やっほー、やっほー。
古い歌を教えたのは、パパである。

青信号を渡っていたら、娘の自転車の直前を車が左折しようとして、急ブレーキをかけて止まった。
娘は転倒し、恐怖で顔を引きつらせている。
一歩間違えば、大事故である。
パパは切れた。

娘を助け起こし、安全な場所に避難させた後、パパは走り去ろうとする車に怒声を上げ、猛烈な勢いで追いかけた。
走り去ろうとする車にメタボリックなパパの自転車が追いつけるはずもないのだけど、車はパパの剣幕に気圧されるかのように止まった。
降りてきてペコペコ謝る運転手にパパは容赦なく罵詈雑言を浴びせながら、車からキーを抜き取り、そのキーを用水路に投げ捨て、車を何度も蹴飛ばした。

娘は一部始終を見ていて、「大丈夫か」と駆け寄ってきたパパに曖昧な笑顔を見せた。
それから、娘の好きな、けどパパの嫌いなマクドナルドに行き、娘の好きな、けどパパの嫌いなジャンクなおもちゃ付のハッピーセットを頼んだ。
娘は滅多に買ってもらえないマクドナルドのチープなおもちゃにうれしそうな顔をしたが、終始緊張したような表情をしていた。

パパは怖い存在でなければならないと思っている。
父親の役割は社会規範を叩き込むことだ。社会規範は問答無用で叩き込まなければならない性質のものがある。理屈はない。
それは娘を愛する気持ちとは同一でも、娘に愛されたいという気持ちとは別のものだ。

今日、仕事で遅くなった。帰ったら、娘はパパとママと約束していたドリルをやっていた。
漢字の書き取りを10ページ、算数を10ページ。
本人がやるから買ってくれといったものだ。そのままほったらかしになっていたので、いつまでにやるのかと期限を切った。

今日はカナダから帰ってきていた従兄弟と遊んでいたはずなので、「どうだ、楽しかったか?」と聞いたら、娘は「楽しかった」と答えた。

おふくろが同行していたので、従兄弟との様子を聞きに行った。

「タリカもマノンもまだ小さいから、気を使ったんじゃないだろうか。帰りの車の中でぐったりとしていたよ」ということだった。

パパとテレビを見て、大笑いをして、まだ眠くないという娘を連れてベッドに行った。
ベッドではいつも今日あったことを報告し合うのが恒例行事なのだが、横になると間もなく寝息が聞こえてきた。
やっぱり疲れていたんだな。

ママにはたまに食ってかかるようなこともあるけれど、パパにはそういうことはしない。

疲れてしまったのだったら、今日は、我儘を言えるママが先に帰ってくればよかったね。

娘の寝顔を見ながら、パパ(社会)に対しても自己主張をしてもいいんだよと語りかけた。
過ぎたら、パパがきっとブレーキをかけるから。

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2007年8月 3日 (金)

佐渡旅行

娘はまだ船に乗ったことがなかった。
昨年、佐渡に連れて行ってあげると約束したけれど、果たせなかった。
娘はパパが約束を果たさなかったことに関して、何も言わなかった。
あるいは忘れていたのかもしれない。

春から、今年こそはと思っていたが、口にしなかった。
土日に急に仕事が入ることがある。
家庭と仕事。どちらも大切だが、仕事を優先しなければならないこともある。
約束を破りたくなかった。

だいたいスケジュールが見えてきたひと月前、知り合いに頼んで佐渡の宿を予約した。
どんな仕事が入っても断ることにして、娘に佐渡行きを告げた。

自身、佐渡に行ったのは10年以上も前のことだが、鮮明に残っている記憶がある。
その記憶を娘に話して聞かせる。
「海の水が透き通っているんだ。腰のあたりまで水に浸かっても、自分の足が見えるんだ。その自分の足の周りを小さな魚が泳いでいるのも見える。水面に太陽の光がきらきらと反射して、それそれはきれいなんだ。水中メガネをして、海にもぐると水族館の水槽を覗いているように見える。岩の影に張りついているサザエやあわびも見えるんだ」
パパの話はだんだん熱を帯びてくる。

休みの日にスポーツ店で水中メガネを買った。

佐渡行きの1週間前、中越沖地震が発生した。

私の住む新潟市に大した被害はなかったが、柏崎市を中心に大きな被害が出た。
たくさんの仕事が地震の影響でシフトした。佐渡行き前にケリがつくはずだった仕事が繰り延べになり、佐渡から帰る翌日が重要な日になった。
離島への旅行は天候によって、帰って来れないというリスクが伴う。万が一帰って来れないということになれば、仕事に穴を空けることになり、信用が失墜するだろう。責任問題になるかもしれない。

天気予報は雨。
放射能を含んだ水が海に流出しているので海水浴は危険だと言う人もいた。
何より、身近に被災している人がいるのに、旅行などしている場合なのかという自身の迷いがあった。
「こういう時だから、佐渡はこの次にしよう」
そう言っても、娘は納得するように思えた。
柏崎から遠い新潟の温泉地でもキャンセルが相次いでいると報じられていた。

結局、佐渡へは行くことにした。

行くことに決めた途端。2週間前からくすぶっていた風邪の具合が悪化した。
「やはり行くなということかなあ」そんな気がした。

出発前夜、飲み会の誘いがあった。
体調が悪かったし、準備もしていなかったので、逡巡したが、結局出かけた。

「明日は佐渡だから、今日は早く帰る」
飲み会の冒頭、そう宣言したが、飲むほどに体調も気にならなくなり、準備もなんとかなるという気持ちになっていた。
しかし、仲間にたしなめられ、いつもの半分の酒量で、23時ころに帰途に着くことになった。

翌朝、4時起き。
昨日飲みに行ってしまったことを思いっきり後悔した。
喉の痛みが激しく、水も飲めない。
熱があるようで身体が熱い。
いつものペースで飲んでいたら、どんなことになったか分からない。

一行は父、母、私、妻、娘(9歳)、弟夫婦、弟の長男(5歳)と次男(3歳)。大人6人、子供3人の9人。

行きはフェリーである。
佐渡・両津港まで2時間30分かかる。
二等船室は絨毯敷きのだだ広い部屋である。
早いもの勝ちで自分のスペースを確保する。
私たちは乗船が遅くなったので、他人が確保したスペースのわずかな隙間を確保して、荷物を置いた。
眠かったが、横になるスペースはなかった。

娘と弟の子供たち、娘にとっては従兄弟は、初めて乗る船に大はしゃぎである。
荷物を置くなり、船内の探検に出かけた。

離岸の作業を興味深く観察し、船が港を出るまで手を振る人に手を振り返す。
沖へ出ても船についてくるウミネコに朝食を振る舞い、波立つ航跡を眺め、顔を見合わせている。
「イルカが追いかけてくることがあるんだよ」と教えてやると、デッキでイルカを探す。

トビウオが跳ねる。
「あれは何? すごく飛んだ」
「トビウオだよ」
「えー! あんなに飛ぶんだ」

船内をくまなく探検した後、探検隊はしばしの休息に入った。
朝早かったから、眠かったのだろう。
パパも少し休んだ。
貸し毛布1枚100円。

両津湾に入ったころ、「もう少しで着くよ」と教えてやると、探検隊は再びデッキに出た。
「佐渡だー」

予約していたレンタカーを借り、小木に向かう。
生憎の雨。肌寒い。海水浴は無理かなと思う。

佐渡には独特の雰囲気がある。
20年前に徒歩とバスで回ったとき、濃密に感じたそれが、車で通り過ぎると希薄になる。
それでも独特の雰囲気はあり、子供たちにはそれを感じ取って欲しいと思うのだが、後部座席で寝息をたてている。
窓を少し開けると、むせ返るような佐渡の匂いがした。

小木に着いた。
まともな朝食をとっていないので、一行は腹をすかしている。
しかし、ここで腹いっぱい食べてしまったら、昼食に影響する。
迷ったあげく、一行はそばとサザエのつぼ焼きとイカ焼きをいただいた。

名物のたらい舟は、雨が降っていたので、じいちゃんとばあちゃんは待機、経験者のパパも岸に残って撮影に専念した。
港の中を回るだけの短い行程だけれども、途中自分で漕いでみたりして、一行は大満足。

小木から十数分の宿根木は、雰囲気のある漁港と昔ながらの街並みが魅力の集落だ。
ここを訪ねたのは、パパが10年以上前に取材で来たときに見つけた「菜の花」という料理屋が主眼だったが、残念ながら営業していなかった。
パパの記憶では昼の営業もしていたのだが、近頃は夜の営業しかしていないらいしい。あるいは最初から記憶が違っているのかもしれない。確認すれば良かった。
当時パパはここで近海もののおいしい魚をたらふく食ったという話を車の中でさんざんしてきたので、一行は激しく落胆した。
結局、その日の昼食は尖閣湾のドライブインのようなところで摂ることになったから、また、そこの食事が想像通りひどいものだったので、パパは一行の怒りを買うことになった。

尖閣湾には水中透視船なるものがあって、これはすごかった。
船の中央に生簀のような空間があって、この底が透明になっている。
外の風景も絶景なのだが、途中、それほど深くない海に船が留まっていると、船の下に黒鯛が集まってきて、透明な船底からそれを見ていると、まるで竜宮城にいるかのような気分になる。娘は少し船に酔ったようだった。

船着場のそばの干物屋のおばちゃんと話をし、おばちゃんの飼っている猫と遊んで、あぶってもらった干物をかじりながら宿に向かった。

宿は崖っぷちに建っている一軒宿だ。
手入れされた庭から急な階段を降りていくと、ゴツゴツした岩ばかりの海岸に出る。
雨は上がっていたけれど、肌寒く、とても海水浴をする天気ではない。
しかし、娘は事前のパパのプロパガンダが強烈に効いていて、たとえ豪雨であろうとも海水浴をする構えで、譲らない。

結局、尖閣湾付近まで戻り、海水浴をした。
放射能などあってもなくても、肌寒い天候の中、海水浴をしているのは、私たちだけだった。
体調の悪いパパは遠慮した。
ママがすっかり流行おくれになった水着で娘に付き合った。

パパは夕食のときに生ビールを2杯飲んだだけでダウンした。
アジアカップをやっていたのに、パパは朝まで眠り続けた。

少し早めに起きたパパは一人で風呂に行った後、おばあちゃんやママと寝ていた娘を誘い出して、散歩に出かけた。
散歩はパパの趣味だけど、娘にはそんなジジ臭い趣味はない。

昨日とは違うルートで急な階段を降りて海岸に行くと、たくさんの漁師が素潜り漁をやっていた。
「何が採れるのですか」と宿の人に聞いたら、「あわび」とぶっきらぼうな言葉が返ってきた。

海岸に行く道すがら、赤い蟹がたくさん驚いたように草むらに逃げ込んでいった。
宿の正面玄関で待ち構えていたおばちゃんたちに「佐渡わかめ買ってくんなせや」と言われた。
お金を持っていなかったから買わなかったけれど。

予報はやっぱり雨だったけど、2日目は晴れた。
6月にはかんぞうの花できれいな大野亀の先、二ツ亀で泳ぐことにした。

二ツ亀は海水の透明度が高いことでも有名な海水浴場だ。30年前に一度来たことがある。

駐車場から海水浴場まで遠く、上り下りがキツイのがここの難点だ。
父と母は海辺まで降りるのを断念した。

昨日よりは暖かかったが、風邪っぴきにつらい天候だ。
翌日からの仕事も気になったので、パパは今日も海に入るのをパスした。
娘と水中メガネを使って、岩陰の魚や蟹、サザエやあわびを観察するのを楽しみにしていたのに、残念だ。

パパが話したとおり、水が透き通っていて、身体の回りを泳ぐ小魚が見えるらしい。
娘も、甥っ子たちも、妻も大喜びだ。

2時間ほど海水浴を楽しんだろうか。
パパは少し眠った。

両津へ向かう車の中。
娘は疲れきって、少し眠った。

帰りはジェットフォイル。
新潟港まで1時間で着く。
ただ、高速船なので、席から離れてむやみに歩き回ることはできない。
娘はそれが不満のようだった。
着いてから「どうだった?」と聞くと、「フェリーの方が面白かった」と口を尖らせた。

自宅に戻って、夕食をとりながら、佐渡の思い出を語り合いたいところだったが、パパは仕事。
シャワーで旅の疲れを流して、仕事に出かけた。

「何が一番楽しかった?」
「海」

天候に恵まれなかったから、物足りない部分もあったと思う。
パパも残念だった。

「また、行こうな」
「うん」

娘の輝くような笑顔を見ることができて、パパは幸せだった。

けど、数年もするともう、パパと海水浴に行くことは彼女にとって、それほど楽しいことではなくなるのだろうな。
そう思うと少し寂しい思いもした。

ずっと後になって、「あのときは楽しかった」そう言える思い出をたくさん作ってあげたい。

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2007年7月 2日 (月)

夜店の買い物

土曜日の夜、近所のお祭りに出かけた。

妻の出身地は盛大にお祭りをする土地柄で、妻はお祭りが大好き。
母親から受け継いだものがあるのだろう。
娘もお祭りが大好きだ。

拝殿に上り、賽銭を渡し、参拝の作法を教える。
二礼二拍手一礼。
神妙な顔をして教えられたとおりにしている。

手を合わせて何かをお願いしていた
何をお願いしたかは聞かなかった。

9歳の娘は神様に何をお願いしたのだろう。

お祭り好きと言っても、本当に好きなのは夜店だ。
出かけた近所のお祭りは、五穀豊穣を祈り、今年の作柄を占うお祭りだが、そんなことはどうでもいいのだろう。

娘が最初にねだったのは、ボールゲームのようなものだ。
ボーリングのピンのような的が6本、3本ずつ2段に重ねられている。
それにボールを当てて、何本倒せるかという簡単なゲームだ。
的との距離は2メートルもない。ボールは2個。
簡単そうに見える。
娘は1本しか倒せなかった。

ボールゲームをやりたがったのは、欲しい賞品が中にあったのだろう。
絶対に欲しければ、もっと確実な方法を選ぶべきだ
そうしないのは、それほど欲しいわけではないのだろう。
ちょっとしたゲームで手に入ればラッキー、その程度なのだろう。
そういうのはどうかなと思うところがあるけれど、お祭りだからという理由で容認している。
うまく言えないけど、お祭りというのは、何か人間のそういう部分を解放するためにあるような気がする。

娘はボールゲームをはじめる前に、1本も倒せなくても何かもらえるのかということを確認した。
結果、彼女は小さなぬいぐるみのようながま口を手に入れた。
結構、しっかりしている。

いくつかのゲームをやり、屋台で飲食をして、帰ってきた。
ボールゲームで手に入れたがま口はパパの鞄に入ったままになっていた。
どうやら、がま口のことは忘れてしまったらしい。

○○ちゃんは、お祭りのゲームで××を当てた。
△△ちゃんは、□□を買ってもらった。
そういう話をしきりにしていたので、翌日、朝食の後に少し改まった口調で話をした。

「誰かが持っていて、みみ(娘の呼称)が持っていないものを羨ましがったりしてはいけないよ。特にお金を出して買えば済むものモノを羨ましがったりするのは、パパはつまらないと思う。」

娘はちょっと戸惑った表情を浮かべてから、パパの話を聞く顔になった。

「みみにはみみしか持っていないものがある。それを大事にすればいいんだとパパは思う。お金で買えるものを欲しがっていたら、キリがない。何もかも手に入るわけじゃないんだ。パパはみみが本当に欲しいものは買ってあげる。けど、それほどでもないものは買ってあげない。お金を手に入れるのは、そんなに楽なことじゃないんだよ」

自分でも何を言いたいのか良く分からなくなっていたけれど、伝えたいことは伝わったらしい。娘はうなづいて、少し笑った。

日曜日の午後、お友達と遊びに行くという。

「パパ、昨日のがま口を出して。」
鞄から出して手渡す。
「なんでがま口って言うんだろう」
「蛙の口に似ているだろう」
「ふーん…パパお金ちょうだい」
「何に使うの?」
「お友達とお菓子買うの」

パパは娘のがま口に200円入れてあげた。

「ありがとう。パパ」
「気をつけて行ってくるんだよ」
「はーい」

夕方、帰ってきた娘はがま口から硬貨を2枚出して、私に差し出した。
「パパ、遣わなかったから、返す」
「いいよ、一旦出したものをパパは受け取らない。大事にして、この次に必要なときに遣いなさい」
娘は硬貨をがま口にしまいながら、
「パパ、今日はちゃお(少女向けの月刊漫画誌)の発売日だった。買って」

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2007年5月23日 (水)

運動会の代休

日曜日に運動会があったので、月曜日は代休。学校はお休みだった。
娘は運動会よりもむしろ月曜日の代休を楽しみにしていた。
朝から一日中お友だちと遊べるからだ。
ずいぶん前から代休の日に朝から一日中お友達と遊ぶことを認めて欲しいとパパとママに交渉し、お友達と計画を立て、日曜日には当日お友だちと一緒に食べるおやつをねだった。

月曜日、家に帰ると娘に訊いた。
「今日は楽しかったかい?」

人生を豊かにするのは、一日を楽しく過ごすことができたかどうかにかかっていて、その積み重ねがとても大切なことだと考えているので、「楽しかったか」と毎日訊くことにしている。

そう訊くと大抵は、パッと顔が明るくなって、「楽しかった」というのが常なのだが、今日は表情が曇った。

ばあちゃんに訊くと、「すごく不機嫌な様子で帰ってきた」という。

「どうした?」と娘に訊くと、「ナオちゃんの機嫌が悪くなって、15時半ころバイバイした」と言う。その後、他の友だちと17時まで遊んだらしいけれど、ナオちゃんの機嫌が悪くなったことが気になっているらしい。

「どうしてナオちゃんは機嫌が悪くなっちゃったんだろう?」

「ナオちゃんのおばあちゃんがおうちの掃除をしているから、おうちで遊んじゃいけないって言われていたんだけど、ナオちゃんがナオちゃんのおうちで遊びたいって言うから、ダメって言われているんだから、他のことをして遊ぼうよって言ったら、ナオちゃんがおうちに帰っちゃった」

「おうちで遊ぶ以上に楽しい遊びが、ナオちゃんにはみつからなかったんだな。長い時間遊びすぎて退屈しちゃったのかもしれないな」

娘は色んな遊びを提案したらしい。けど、そのどれもナオちゃんの歓心を得ることはできなかった。自分にとってはそれほど楽しいと思えないことも、ナオちゃんが楽しいと思ってくれればいいと提案したけれど、それをも拒絶されて、ちょっとショックだったのかもしれない。

「みんなが楽しい遊びをみつけるのは難しいな」

「難しい…」

「楽しいことばかりしていると、楽しいのが当たり前になって、楽しいと思えなくなることがあるかもしれない。大切なのは、いつも上機嫌でいることだとパパは思うな。パパがいつも何て言っているかな?」

「いつもニコニコ」

「そうだな。いつもニコニコしていることが大切だとパパは思っている。けど、今日はニコニコしていられたかな?」

「してなかった」

「そういうときもあるかもしれないけれど、明日はニコニコしてナオちゃんとまた遊ぼうな。何をして遊ぼうかな?」

「分からない」

娘はナオちゃん宛に大好きなケロロ軍曹の絵を添えた手紙を書いた。
どんなことを書いたのかは知らない。訊いても教えてくれなかった。

翌朝、ナオちゃんが迎えにきた。
いそいそと身支度をして家を飛び出した娘と額を寄せ合って、何かしら話をしている。

大きな声で「おはよう」と言うと、ナオちゃんは「おはようございます」と挨拶した。
二人は顔を見合わせて、笑って、学校に向かって駆け出していった。
まだ大きく見える赤いランドセルがふたつ揺れていた。
立ち止まって、また何かしら話をしている。

いったい何を話しているのやら。

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2007年5月12日 (土)

娘の寄席体験

ゴールデンウィークは千葉に行くのがここ数年の恒例となっている。
妻の双子の妹が千葉に住んでいるからだ。

いとこと千葉近郊のレジャー施設に出かけ、夜はタンのおいしい焼肉屋に行く。
数日楽しんだ後、帰りに銀座に寄って、大道芸人のパフォーマンスとお買い物とおいしい食事、スイーツを楽しむ。

ここのところ、就寝前に落語を読んでやっていたせいか、今年は寄席に行きたいと娘が言い出した。

東京に住んでいるころ、よく新宿末廣亭に出かけた。
アパートから歩いて行ける距離にあったし、何より寄席の雰囲気が好きだった。
一日中寄席にいて、ゴールデン街で飲んで帰る。
よくそんな休日を過ごした。

義父、義母、妻はオープンしたばかりのミッドタウンに行くというから、やっぱりそっちに行くと言い出すのではないかと思っていたけれど、娘はそれでも寄席に行くと言う。

義父、義母、妻とは、娘の好きな銀座・伊東屋で合流することを約束して、娘と二人で新宿に向かった。

新宿と言えば、中村屋だ。
私は伝統のカリー、娘はオムライスを頼んだ。

「ここは日本ではじめてカレーを出したところなんだ」と教えてやると、自分もそのカレーを食べてみたいと言う。少しだけ食べさせてやると、ほおばって、しばらくしてから「辛~い」と顔をしかめた。
スパイスの効いたカリーは小学三年生には辛すぎたらしい。

新宿の雑踏を、娘と手をつないで歩く。

「あ、パパ、紀伊国屋って、新潟にもあるよ。」

紀伊国屋にもよく通った。

「ここが本店なんだ。ここの4階で、お芝居をやったり、映画をやったりするんだよ。」
「へぇ~大きいんだ。」
「大きいんだな。ホラ、伊勢丹もあるよ。」

娘も妻も伊勢丹の大ファンだ。

「昔の建物みたいだね。」

もう昼の部がはじまる時間だ。

「座れますか?」切符売り場で訊くと、
「今は立ち見になっています」という想定外の答えが返ってきた。

100回近く末廣に通ったけれど、立ち見だったことは数えるほどしかなかった。

場内に入ると、立ち見もほぼいっぱいの満員だった。
寄席通いが隠れたブームと聞いていたけれど、場内は通いなれた人たちでいっぱいという空気だった。

娘は最初、寄席の雰囲気を楽しんでいる様子だったけれども、そのうちにそわそわしはじめた。

「どうした? トイレに行きたいか?」
「ううん、大丈夫。」

どうやら、退屈してきたらしい。

落語は、観客に知識を要求する。
知らないと笑えないことも多い。
「枕」の部分はなおさらだ。
正蔵の脱税なんて、つまらないネタだけど、それでも小学校三年生には分からない。
みんなが笑うところで自分が笑えないと、取り残されたような気持ちになってくる。

笑っているパパを見て、疲れたような表情を見せたので、限界かなと思って、「もう出ようか」と言うと、素直に「うん」と言った。

待ち合わせた伊東屋に行くには、丸の内線で一本。時間に少し余裕があったので、地下鉄の駅を一駅歩くことにした。

パパが20年以上前、酔っ払って歩いた道を、娘と手をつないで歩く。

「そこを右に曲がると新宿御苑っていう広い公園があるんだ。」
「ふーん。」
「末廣亭、面白かった?」
「あまり面白くなかった。」
「そうか。」
「提灯がいっぱいあったね…。パパの落語の方が面白いよ。」
「パパよりもお話の上手な人が演っているだけどなぁ」
「それでも、パパの方が面白いよ。けど、似顔絵の人は上手だった。」
青空ピーチクさんのことを言っているらしい。
「また、行きたい?」
「もっと大きくなってから、また行く。」

彼女の初めての寄席体験はどうだったのだろう。

雰囲気を味わったことだけでも良かったのかなと、親は勝手に思っている。

いつかまたきっと、彼女も寄席に行くことがあるだろう。
ああ、最初に寄席に行ったのは、パパと一緒だったなと思い出してくれれば、パパは満足だ。

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2007年4月19日 (木)

娘の誕生日

4月18日は娘の9歳の誕生日だ。
早く帰ろうと思っていたが、仕事が長引いて、家に帰ったときは20時を回っていた。

「誕生日おめでとう。今日は一日楽しかったかい?」

「今日は楽しかったか?」と訊くのは毎日のことだ。
楽しくなければ、生きている意味がない。
楽しく過ごすためには、いつもニコニコしていることだと教えている。

「楽しかった。お友だちから、お誕生日のプレゼントをたくさんもらった」

娘は友だちからもらった文房具やカードをいちいち説明してくれた。

「パパとママからもカードがあるよ」

パパのメッセージは「いつもニコニコ」

「パパはいつも”いつもニコニコ”だね。けど、気に入っている」

ベッドで本を読んでやり、まだ眠っていないようなので、話しかける。

「いくつになったの?」
「9歳」
「9年生きてきたということだなぁ。パパは何歳か知ってる?」
「46歳」
「正解。9×5は?」
「45」
「正解。パパは5倍も生きているんだなぁ」
「年寄りだね」
「年寄りだな。ところで誕生日はどんな日か知っている?」
「…知らない」
「なんで、お誕生日おめでとうって言うんだろう」
「お誕生日だから」
「9年無事に生きてこれた。だからめでたいんだよ。パパもママも嬉しい。ありがたいと思っているんだよ」
「…」
「今日はたくさんの人からお誕生日を祝ってもらって、良かったね」
「嬉しかった」
「楽しかったな」
「楽しかった」

娘が生まれたのは、私が畑違いの部署に配属されて数日たったときだった。
歓迎会をやってもらっているその席に産まれそうだと産院から連絡が入った。泊まりの歓迎会だったので、駆けつけるわけにいかなかった。翌朝早く産院に行った。娘が生まれたのはその日の昼ころだった。
分娩室に入ったカミさんを見送って、私は週刊文春を読み始めた。どうせ時間がかかるだろうと思っていた。巻頭グラビアを読み終えないうちに看護師さんが「産まれましたよ、女の子です」と言いにきた。拍子抜けした。分娩室の前でそわそわする父親を演じる暇もなかった。

産まれた子はふにゃふにゃしていて、とても頼りなかった。
ああ、この頼りない命を守らなければならないのだなと思った。

ビデオなんていらないと言ってきたけど、ビデオが欲しくなり、ぐったりしているカミさんからカードを取り上げて、近くの電器屋に走った。テレビカメラマンの友人に電話をして、何を買えばいいのかアドバイスを求め、電器屋の店員に型番を言って、値切り倒してビデオを買った。

眠りに落ちる前、娘は「饅頭こわい」が聞きたいと言った。
パパは熱演したけれど、娘はパパがオチを読む前に眠ってしまった。

娘の寝顔を見ながら、娘が生まれたときのことなどを思い出していた。

パパはまた酒を飲んで夜更かしをしている。

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2007年2月 6日 (火)

娘との対話~豊かさとはなんだろう。

カミさんから仕事が遅くまでかかりそうだという連絡が入ったので、私が先に帰宅することにした。
カミさんは営業職だから、お客さんに時間が左右されるけれど、私の場合、インターネット接続環境があれば、どこででも仕事ができるので、カミさんが遅くなりそうなときは、私が仕事を自宅に持ち帰って、娘の面倒を見ることになる。

娘の食事は、同居している両親が面倒を見てくれる。恵まれた環境だ。感謝している。

娘と学校であったこと、学童保育であったことを話し合う。
どんなことがあって、どんな感想を持ったか。どんな発言、行動をしたか。聞いていて楽しい。
それから、学校の宿題を二人でする。
親が評価する項目がある。学校も家庭教育を要求している。正しいと思う。
連絡帳に担任の先生に対するメッセージを書く。
授業参観に行けなかったことへの反省。もっと早くに連絡してもらえば、都合をつけられるかもしれないのにという愚痴。

風呂に入る。
成長期にある肉体は、内から湧き出る生命力がパンパンに張り出している。パパの腕の中で頼りげのなかったふにゃふにゃした身体はいつのまにか、張りのある一人で生きていける身体へと成長していた。パパは成長した娘の肉体をほれぼれと眺めながら、我が肉体を振り返り、もう少し身体を動かさなければなどと考える。

ひとり娘だから、嫁にやりたくはないけれど、嫁に行くまで生きていたいと思う。君が選び、君が愛した男が最初に私に面会を求めてきたとき、私はそれを拒否するかもしれない。いずれにせよ、いじめるだろう。君は「父はああ見えて優しい人だから」なんてフォローをいれつつ、カミさんに愚痴をこぼすかもしれない。パパだって、本当は、君の愛した男と仲良くやりたいんだ。披露宴でパパは泣いてしまうかもしれない。いや泣くだろう。
湯船に浸かりながらそんな先のことまで考える。

娘と床に就く。
本好きの彼女はこのごろ勝手に自分の好きな本を読みながら眠るのが通例だが、今夜に限って、「パパ、何かお話をして」とせがむ。

こういうときには、いつも古典落語を聞かせていたのだけれども、今日は、小学校二年生にはちょっと難しいかなと思いつつ「お布施」と「お恵み」について話をした。

私は落語家でもないし、宗教家でもない。

話はひろさちやさんの受け売りだ。

私「瑞穂さん(娘)がケーキをひとつもらって帰ってきたら、
  雄太郎(従兄弟)が遊びに来ていた。
  どうする?」

娘「雄太郎と半分ずつ食べる。」

私「どうして?」

娘「雄太郎もケーキが好きだから。」

私「雄太郎もケーキが好きだから、雄太郎にもケーキを分けてあげるの?」

娘「そう。」

私「それはお恵みって言うんだ。」

娘「オメグミ…」

私「お恵みはもらった人がお礼を言うんだ。
  雄太郎にケーキを分けてあげたら、
  雄太郎は瑞穂にありがとうって言うね。」

娘「雄太郎は言わない。」

私「それはいけないなぁ(笑)。
  もらった人がお礼を言う。それがお恵み。
  あげた人がお礼を言う。それがお布施。」

娘「あげた人がお礼を言うの?
  どうして?」

私「ひとりで食べるのとふたりで食べるのと
  どっちがおいしいかな?」

娘「ふたりで食べるの。」

私「そうだな。
  ふたりで食べた方がおいしいから、
  一緒に食べてくれた雄太郎に瑞穂がお礼を言うんだよ。
  それがお布施。」

娘「……。」

私「難しいな。パパにも良く分からない。」

娘「難しい…。」

私「パパもママも、瑞穂がひとつのケーキをふたりで食べて…、
  もっとたくさんの人でもいいのだけれど…、
  その方がおいしいと思ってくれる人に育ってくれたらいいなと思っているんだよ。」

娘「そうかー。」

私「そうなんだよ。」

娘「ケーキじゃなくて、お寿司も?」

私「お寿司も。」

娘は難しい顔をして、少し考え込んでいたようだったけれども、間もなく寝息が聞こえてきた。ほっぺをつついたら、寝返りをした。

私はそっと寝床を抜け出し、書斎のパソコンを立ち上げた。

すぐにでも仕事をはじめなければ、間に合わないのだけれども、娘との会話の余韻が残っていて、なかなか仕事に入れなかった。

パンがひとつしかなければシェアしようということになる。
そうしなければ、片方が死んでしまうから。
けれどもパンが三つあったらどうなるだろう。
ひとつずつ取って、もうひとつは競争になる。
強いものが取ることになる。

パンがひとつしかない世界とパンが三つある世界。
どちらが豊かなのだろうなどと娘の寝顔を思い浮かべながら考えた。

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