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2009年1月30日 (金)

国民は選挙を望んでいる

関連法成立前の支給案が浮上=定額給付金で政府・与党
2008年度第2次補正予算に盛り込まれた2兆円の定額給付金について、政府・与党内に29日、財源の財政投融資特別会計の「埋蔵金」を取り崩すための 2次補正関連法案の成立前に支給する案が浮上した。野党が関連法案の審議を引き延ばせば年度内の支給が困難となるためだが、実際に成立前の支給に踏み切っ た場合は野党の反発は必至だ。
関連法案成立前の支給は、自民党の伊吹文明前財務相が同日の伊吹派総会で提唱。伊吹氏は「政府短期証券を発行し、資金繰りを付けて、後に償還する仕組み で支給できる。法案が成立しないと支給できないというが、そういう法制上の縛りはない」と述べるとともに、「一カ月以内に必ず給付を始めるということで、 麻生太郎首相が指導力を発揮してやればいい」として、首相に決断を促した。
これに関し、河村建夫官房長官は記者会見で、伊吹氏の提案について「財政法上できないことはない。伊吹氏の提言を検討して、内閣の統一見解を求めなければならない」と表明した。
(時事通信 1月29日)

国民の8割が「ばらまき」と批判的(FNN合同世論調査http://sankei.jp.msn.com/politics/situation /081201/stt0812012135002-n1.htm)な定額給付金を政府はどうしても配りたいらしい。国民に支持されない政策をどうして意 地になって進めようとしているのか、私には分からない。

給付金が配布されると、我が家は、夫婦と子供一人だから、12,000円×2+20,000円=44,000円が支給されることになる。
賞与はすずめの涙。その上、給与カットの憂き目に遭っている我が家の家計にとって干天の慈雨であることは確かだ。
悲壮な決意で晩酌のビールを減らさなければと思っていた私にとって、ノドから手が出るほど欲しいお金である。
どこの家庭でも多かれ少なかれ似たような状況ではないかと思う。
けれども、給付金に批判的な国民が多いのはなぜだろう。

このご時勢で自分はまだ恵まれた方だ。世の中にはもっと苦しんでいる人がいる。臨時収入はありがたいけれど、そんなお金があるのなら、自分よりも辛い立場にいる人たちのために、あるいは未来のために使ってもらいたい。多くの国民はそう思っているのではないだろうか。

うろ覚えだけれど、HONDAの創業者・本田宗一郎さんの逸話としてこんな話を聞いたことがある。
新しい技術の開発にのめりこんでいた本田さんは、それを実現するための機械設備にお金を使いすぎて、うっかり社員の賞与資金まで注ぎ込んでしまった。申し 訳なく思った本田さんは社員を集めて事情を話して詫びた上で、この投資が将来どんな未来を作るか、その可能性について熱く語った。
社員は不満を持って集まったはずである。ところがやがて、会場からは拍手が起こり、「親父!お前の好きなようにやれ!」という声が飛んだ・・・という話だ。
リーダーシップというのは、こういうものではないか。

国民が、今は苦しみを分かち合い、この難局を乗り切って、新しい未来を築こうと意思表示しているにもかかわらず、選良と言われる人たちと高級官僚だけが自分たちのための権力闘争を繰り広げ、蚊帳の外にいる。

民主党に肩入れをするのではない。彼らにそれほど大きな期待もしていない。けれども、今は一刻も早く選挙をすることが、この国をまともな方向に持っていく唯一の手段ではないかと思っている。

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2009年1月27日 (火)

安さだけで買うな。

1月12日の日本経済新聞に掲載されていた小山薫堂さんのインタビューが心に残った。
小山薫堂さんは「料理の鉄人」などヒット番組を企画した放送作家。昨年は「おくりびと」で映画の脚本を手掛けた。

「企 業と消費者は助け合うもの。異常に安い商品があったら、消費者には『なぜ安いのか』と考える責任がある。安さの理由を考えて『気がひける』なら、買うのを やめたほうがいい。生産者に圧力をかけて安く仕入れているのではないか、不当にもうけている人はいないか。払うお金の行き先まで目配りしたい」
「作 家の池波正太郎さんはタクシーに乗ると必ずチップを渡していたそうです。運転手さんはうれしくなって次の乗客に愛想良くなる。その乗客は気分が良くなり、 降りた先で気持ち良く人と接する。自分が渡したお金から小さな幸せが連鎖して広がっていくのです。景気対策で支給される定額給付金でそうした無駄遣いをし てみたらどうか。どうしたら人に小さな幸せを与えられるか考えて使ってみる。そこから新しいきずなが生まれるかもしれない」
「私はかつて、ソニーが発売した犬型ペットロボット『AIBO(アイボ)』を3台買いました。ソニーの挑戦する姿勢に拍手する気持ちでした。それで得をしたことは特にありません。いつか孫に自慢するくらいでしょう。しかし、ロボットの未来に投資をしたと満足しています」

気になる記事を見つけた。
ビームスの服を作っている愛媛県内の縫製工場が外国人研修生・実習生として働いていた中国人女性に違法な低賃金労働をさせていたという毎日新聞の記事だ。

ビームス:人気ブランドの影…中国人研修生、蟹工船 違法低賃金で愛媛の縫製工場処分
◇パンかじりながら明け方までミシン
東京・原宿などを中心に国内外に約95店舗を展開する人気ブティック「ビームス」(設楽洋社長、東京)の洋服を作っている愛媛県内の縫製工場が、 外国人研修生・実習生として働いていた複数の中国人女性に違法な低賃金労働をさせていたとして昨年、処分を受けた。工場の経営者や帰国した研修生らに話を 聞くと、年末年始もなく明け方まで過酷な労働を強いられる「平成の蟹工船」の実態が見えてきた。【後藤直義】
ビームス社は1976年、東京・原宿 で創業。輸入品と自社オリジナルの洋服を並べる「セレクトショップ」の先駆けで、同社ホームページによると、 グループ2社の年商は計670億円(08年2月決算)。縫製工場の経営者によると、工場は00年ごろ、大阪市の業者を通して同社の洋服づくりを委託され た。
しかし、慢性的な人手不足で、05年から外国人研修・技能実習制度を使い中国人女性9人を採用。少なくとも年間数千着という同社を含む、複数の若者向け人気ブランドの洋服づくりを続けた。
アパレル業界では売れ筋の商品を「生もの」と呼び、1週間など短納期で商品を発注する。中国人女性について「ベテランの日本人よりずっといい働きだった」と話す経営者も納期を守るため、繁忙期には彼女たちと一緒になって月200時間を超える残業をこなした。
「イ ンスタントラーメンやパンを食べながら、明け方までミシンを掛けた」。任新艶さん(26)は中国・青島から05年10月に来日し、この工場で働いた。残業 代は時給200~480円で、大みそかや正月も仕事に明け暮れた。既に帰国しているが、日本に滞在中の2年半で体重が10キロ減り、3回も入 退院を繰り返した。
工場経営者は昨年6月、八幡浜労基署から労基法違反(賃金未払い)に当たるとして、中国人女性ら9人に約800万円の未払い賃 金を支払うよう勧告を受けた。その後、高松入管からも研修生らの受け入れ停止を命じられ、生産がストップ。現在も働き手のいない状況は続いており、経営者 は「給料は安く、日本人の若者は来ない。私も今までこの仕事一本だったので、他に仕事もないし……」と話す。
一方、ビームス社の金田英治・広報部長は、同社の洋服は中間業者や商社を通じて、四国地方の他、岡山、岐阜、新潟などの工場に委託していると説明。毎日新聞の取材を受けて処分の事実関係は確認したが、金田部長は「過酷な外国人労働があるとは知らなかった」と話している。
(毎日新聞 2009年1月26日)http://mainichi.jp/select/biz/news/20090126dde041020013000c.html

研修生・実習生として受け入れた中国人女性に過酷な労働を強い、報酬を支払わなかった愛媛県の業者は、法を犯しているのだから裁かれなければならない。けれども、経営者本人も200時間を超える残業をこなしているところをみると、どうやら苦肉の策だったようだ。

時給200円!中国人研修生に過酷労働 縫製業者に有罪判決
中国人研修生に、早朝から深夜まで基準を超える勤務をさせたとして、労働基準法違反の罪に問われている紀の川市の縫製業経営、古野太久磨被告(62)の判決公判が3日、和歌山地裁であり、荒木美穂裁判官は懲役6月執行猶予3年(求刑・懲役6月)を言い渡した。
判決理由で荒木裁判官は「外国人研修技能実習制度を悪用し、1時間200円という極めて安価な賃金で長時間働かせ、利益を得た」などと述べた。
判決によると、実習生への不払い賃金は計約414万円で、古野被告が理事長を務めていた、平成ニット協同組合傘下企業では約2年4カ月で不払い賃金が計約4000万円以上にのぼり、傘下企業への証拠隠滅工作などもすすめていた。
(産経新聞 2008年6月4日)

ちょっと検索すると、こんなニュースがぞろぞろヒットする。
どうやら構造的な問題のようだ。

ビー ムスは「過酷な外国人労働があるとは知らなかった」としている。毎日新聞の記事によれば、愛媛県内の縫製業者は大阪の業者から業務を委託されている。大阪の業者の他にも関与している業者がありそうだから、本当に知らなかったのかもしれない。けれども、自社の製品が国内で生産されていたのか、海外で生産され ていたのかくらいは知っていたはずだ。国内で生産されたものだと知っていたとしたら、「ちょっと安すぎないか?」と思わなかっただろうか。

販売力を持っている小売業者はメーカーよりも力を持っている。小売業者が錦の御旗にするのが「消費者ニーズ」だ。
消費者が無節操に「安値」だけを追い求めれば、メーカーは無節操に安いものを作ることになる。

毎日新聞の見出しは、ビームスが中国人研修生を違法に働かせて、不当に儲けていたかのような印象を与える。記事をよく読むと、そうかもしれないけれど、そうでないかもしれないということになっている。

消費者は賢くならなければならない。
日々の小さな判断が世の中を大きく動かすことに気づくべきだ。
それはその通りなんだけれども、小売もメーカーももっと賢くあって欲しいし、そのためにも、メディアは小売やメーカーの正しい情報を消費者に届けて欲しいと思う。

メディアは、消費者を動かす力を持っている。
覚悟を持って、役割を果たして欲しい。

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2009年1月23日 (金)

T先生のこと

敬愛するT先生が1月20日亡くなった。
享年80歳。

T先生と出会ったのは、20年以上も前。
歴史書の編集に携わっていたころのことだ。

中学校時代の恩師の影響で歴史、民俗には興味を持っていた。
興味のあるなしは重要ではあるけれど、その程度で仕事が出来るほど甘い世界ではない。
特別知識があるわけでもない私がその歴史書を担当することになったのは、適当な人がいなかったからだ。
無謀といえる起用だったと思う。
勉強しなければならないことが山ほどあった。
当時はどうして私がこんなことをと思ったこともあったけれども、T先生との出会いも含めて、今考えれば、得るものが多かったと思う。

良寛研究の第一人者と言われていたT先生のことを当時の私は存じ上げなかった。
今思うと、的外れな原稿を依頼したのかもしれないと思う。

優しい人だった。
良寛さまのことは、未だに良く知らないけれども、良寛さまというのは、きっとこういう方だったのだろうなと思わせる人だった。

私にとって、忘れられないエピソードがある。
先生のアシスタントとして、取材に回っていたときのことである。

田園地帯を貫く国道から、かなり逸れたところにポツンとラブホテルがあった。
「こんな人目につかないところにホテルを作って、お客さんがあるのでしょうか」
先生は心配そうにおっしゃった。
「先生。こういうホテルは人目につかない方が流行るんです」
先生は怪訝そうな顔をしてから、やがて合点したような表情になって、ホーッホーッと笑って、
「なるほど、そうですね。あなたの言うこと、良く分かります」とおっしゃった。

自分の専門分野のことを何も知らない不躾な男と付き合うのは苦痛だったかもしれないなと今になって思う。
けれども先生はいつだって自然体だった。

酒の席でも、先生はただただ私の話を聞いてくれた。
何を話したのか忘れてしまったけれども、きっと私は下らない話をしていたのだろう。
良寛研究の第一人者と話す機会がたくさんあったのに、私は自分の話ばかりしていて、先生から良寛さまの話をほとんど聞いていない。
まったく、もったいない話だ。

今日、久しぶりにお会いした遺影のT先生は、相変わらず優しい笑顔を浮かべていらした。
どんなことも赦してくださる笑顔だと思った。
涙が出た。

「最後のお別れを・・・」
葬祭場の係の人から、促された。

けれども、私にはまだそんな資格も勇気もなかった。
逃げるように斎場を後にした。

散る桜 残る桜も 散る桜

たまたまだけれども、私たちは今生きている。
それを大切にしたい。

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2009年1月 6日 (火)

国や組織というのは弱い人のためにあるのではないか

慶応のとっちゃん坊やに言わせると、「企業が元気にならないと、景気が回復しないから、法人税減税をやるべき」なんだという。
馬鹿も休み休み言え。

0金利政策で本来預金者が受け取るはずの金を金融機関や企業に回してやっただろう。
政府はそれでも足りずに預金を株式市場に回すように誘導し、我利我利亡者ばかりが富を得る仕組みを作った。
さらに労働者の3分の1を企業の都合でどうにでもできる非正規労働者にした。
企業にはずいぶん金が回ったはずだ。

その結果、どんなことになっているのか知っているのか?
どれだけ金を渡せば、君たちはまともな仕事をするのだ?

東京・日比谷公園の年越し派遣村の入村者は500人にもなったという。
この村を運営しているのは、NPOで1700人を超えるボランティアがその活動を支えているという。
厚労省が講堂を提供したらしいけれど、政治や行政、経済界が困窮した彼らのために何かをしたという話を聞かない。

行政は帳面もまともにつけられないような無様な仕事をしているくせに、自分たちがぬくぬく生きる仕組みだけはきっちり作って、へそくりまでこさえていた。
政治家は国民の困窮に目もくれずに権力闘争に明け暮れている。権力を握ったってすぐに投げ出すくせに。
派遣切りをした企業は、内部留保を積み増し、役員報酬を上げているところもあるという。
誰に金を渡したところで我利我利亡者が抱え込んでしまって、本当に必要な人には渡らない。
残念ながら日本はそういう国になってしまっている。

天皇陛下は新年のご感想の中で、「世界的な金融危機の影響により、我が国においても経済情勢が悪化し、多くの人々が困難な状況におかれていることに心が痛 みます。国民の英知を結集し、人々の絆を大切にしてお互いに助け合うことによって、この困難を乗り越えることを願っています」と述べられた。

国や組織というのは、弱い人のためにこそある。
弱い人を支える気持ちのない権力者はその立場にいるべきではないと思う。

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2009年1月 4日 (日)

箱根駅伝

お正月といえば、箱根駅伝だ。
ぬくぬくと暖かい部屋で、家族・親戚に囲まれて、酒を飲みながら、1本の襷をめぐる物語を居眠りしつつテレビ観戦していると、ほろ酔い気分も手伝って、天下泰平、これぞ「正月気分」といった幸せな心持ちになってくる。

毎年、楽しみにしている箱根駅伝だけれども、観戦しながら話をしていると、驚くほど過去の記録を覚えていないことに気がつく。
私は昨年の優勝校は順天堂大学だと思っていたけれども、調べてみると順天堂大学の優勝は一昨年のことで、昨年は往路・早稲田、復路・駒澤で総合優勝は駒澤大学だった。昨年のことすらはっきりとは覚えていないのである。

早稲田、順天堂、日体大が伝統校で、大東文化大、山梨学院大、神奈川大が新興勢力、近年は駒澤の天下というのが私のぼんやりとしたイメージ。
記録をひも解いてみるとそのイメージは確かではあるけれど、82回大会優勝の亜細亜大学はまったく記憶になく、逆に72回大会優勝の中央大学を鮮明に覚えていたりする。
http://www.ntv.co.jp/hakone/85/date/date_02.html
人の記憶というものは、まったく当てにならない。

どんなことを記憶して、どんなことを忘れてしまうのか。そのメカニズムはどうなっているのだろう。
私の場合、箱根駅伝に関して言えば、途中棄権とか、襷がつながらず繰り上げスタートとか、悲しい場面が記憶に残っていることが多い。
最も鮮明に記憶しているのは、山梨学院大学・中村祐二選手。
箱 根で走ることに憧れて、実業団から山梨学院大学に転じた中村選手は、1年生のときに3区区間賞、2年生のときに2区区間賞の成績で連続優勝に貢献。期待さ れて臨んだ96年の72回大会の2区でまさかの失速。脱水症状を起こし、ふらふらになりながら、前に進もうとした。しばらく伴走していたコーチが見かねて 中村選手の身体に触れ、途中棄権(失格)が決まった。泣き崩れる中村選手・・・。
翌年、中村選手は同じ2区で区間賞の快走で雪辱を果たすけれども、山梨学院大学は総合2位に終わった。

今年の箱根は、2区での日本大学・ダニエル選手の20人抜き、5区で東洋大学・柏原選手の9位から逆転でトップに躍り出る快走、復路での東洋大学と早稲田大学のデットヒートと見所が満載だった。
意地と意地のぶつかり合いのようなデットヒートを観ながら、居眠りをしながら、そもそも箱根駅伝というのはどんなきっかけで始まったのだろうと考えた。

そう思ったのにはきっかけがある。
昨年の暮れ、仕事上の必要で古い写真を集めていた。
全共闘世代で関西の大学にいたOさんから提供された写真の中に不思議な写真があった。
乳母車に乗った学生が京都駅前の横断歩道を渡っている写真だ。
「これは・・・?」とOさんに訊くと、「学生はヒマなんでね。乳母車で京都を一周しようという下らないことを考えたんだな」ということだった。
箱根駅伝も、もしかすると、そういった「ヒマを持て余した学生の下らない思いつきがはじまりかもしれない」なと思うと楽しくなった。
「箱根までどの大学が先に着けるか、競争しようぜ」
そんなことではじまったことがこれだけ大きな大会になったのだとしたら、痛快だと思った。

調べてみると、「アメリカ大陸縦断駅伝」構想が元になり、その予選会として「箱根駅伝」が開催されたことが分かった。
http://www.ntv.co.jp/hakone/85/story/01_prologue.html
想像を超えた痛快さだ。

箱根駅伝は日本テレビが完全生中継している。ずっと前からそうだったように思っていたけれども、日本テレビの中継は87年からなのだそうだ。
第1回大会は、1920(大正9)年、出場校は早稲田、慶応、明治、東京師範(現筑波大学)の4校。
選手を揃えることすら難しい時代だったようだ。

箱根駅伝は今も基本的には学生の手で運営されている。
箱根駅伝が現在の隆盛を迎えたのは、日本テレビが中継し、サッポロビールがメインスポンサーになったことが大きいとはいえ、きっかけは、学生の希有壮大な馬鹿馬鹿しい思いつきだ。
そうした馬鹿馬鹿しいことを思いつき実行に移すだけの自由な雰囲気が若い人たちの間にあるだろうか、それを許容するだけの余裕が社会にあるだろうか。
社会の活力というのは、実行力のある若者たちが無鉄砲にはじめることを許容する余力がどれだけあるのかということかもしれないと思う。

「アメリカ大陸縦断駅伝競走」とか「シルクロード駅伝競走」とかが実現できたら、それは面白いだろうなと思う。

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